頭サビ9割

「わたしは弱い!」そんな自分を克服したい大学生にワーホリのススメ

どうもナオキケーこと北山直樹です。(@naokikei41

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東南アジアでもインターンを終え、オーストラリアに来ています。こちらへ来て、約1週間が経過しました。近況報告がてら、ブログの更新です。

オーストラリアの生活を1週間経験してみて、”弱い自分”を克服したい大学生ほどワーホリは良いのでは?と思っています。なぜなら、ワーホリは0からのスタートすぎるからです。

ワーホリ当初は自ら生活を創る

・家がない

・仕事がない

・友達がいない

・目標がない

これらはワーホリ当初にぶつかる問題点です。

ワーホリをする方の多くは、ゲストハウスに1週間程度宿泊し、その間に住まいと仕事を決めます。日本の物件探しと同じで自分の目で確かめてから(ワーホリ用語でInspectionといいます)、住むのがほとんどです。また仕事も直接レストランやカフェなど自分が働きたい店に出向き、履歴書を渡さないと雇ってもらえません。

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皆さんはマズロー欲求5段階説をご存知でしょうか?これは人間の欲求を五段階で表したものです。住まいと仕事が見つかっていない状況は、最低限満たすべき欲求すら満たしていないも同然で、苦しみという表現より、絶望と表現できます。

友達がいない状態で始まるのもワーホリで、語学学校に行けば話は別ですが、行かなかった場合、現地に相談相手すらいない状況に陥ります。

つまりワーホリ開始すると、まず生活を創ることからスタートと言えるでしょう。

弱さを克服するタイミング

ワーホリ開始当初は、日本では考えられないようなレベルの欲求を満たす努力をしなければなりません。家がない生活を想像できますか?家がなければ、実家でなくとも友人の家に転がりこめば良いですし、アルバイトが見つからなくても、親のスネをかじって入れば良いのです。(アルバイトが見つからないことは無いですが)

ワーホリではそういうわけにはいきません。ワーホリをしているうちは、この住まいと仕事を手に入れないと前に進まないのです。たしかに逃げて日本に帰ることも可能です。しかし帰国することは、弱い自分から逃げるのと等しいのです。このとき、1度目の弱さを克服するタイミングを迎えるのです。

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2度目の弱さを克服するタイミングが「目標がない」をどう乗り越えるか考えるときです。マズロー欲求5段階説でいうと、目標を持ち、達成したいという欲求は尊厳欲求自己実現欲求にあたります。

住まいが見つかり、仕事にも慣れてきたところで、「このままでいいのか?」と疑問を抱く人は多いです。たしかにインターンと違って、スキルがつくと確信できるわけはありませんから。

そうならないためには、しっかりと目標を決めましょう。「ワーホリ中にバリスタの資格を取って、日本でアルバイトに生かす」でも良いと思います。「ボランティアとして現地にいる子供の教育に携わり、英語で教育ができるという武器を持つ」であったり、白人に負けない英語を話せるようになる!であったり。目標を持ち、そこから逆算できるかどうかで、何もできない弱い自分から脱却できるのではないでしょうか?

 最後に 

大学生のときに、ワーホリにいくのはアリだなと思っています。再論ですが、Oからのスタートすぎて、ここまで人間らしく生きることを考える機会はそうそう無いです。なにせ、最低限の欲求を満たすところから始めるわけですから。仮に就職活動に活かせなくても、人生の経験としてきっと活きるはずです。

約束を守らない人は、ずっと守らない

「約束を守らない人は、ずっと守らないよ」

インターン先の上司から過去に言われたことがありました。

最近「やめること」について、ふとすれば考えています。約束を守らないとは、「約束する」をやめることであり、たしかに約束を破る人は、平気で何度も約束を破るイメージです。そういった経験からか、やめることに関してはあまりイメージが良くありません。

その反面、やめることは良いことだという人もいます。たとえば「仕事をやめる」のは、もちろん色々な状況があり得ますが、ブラック企業をやめることも、キャリアアップのために仕事をやめるのも、概して勇気のいることです。「よくやった!」と言う人がいるのも頷けます。

 

人生の大半は他者との関わりが生ぬるく、基本的に「健康であればそれでいい」という関係だと思います。なので、よく自慢げに「〜をやめた」と言う人がいて、それを「そうなんだ。まあ次に進めるし、良いんじゃないの」と言ってしまうのですが、改めて、やめることはよろしくない。と声を大にして言いたいです。

やめることが癖になると、逃げグセがついてしまいますからね。冒頭の”約束を守らない人”ではないですが、一度やめてしまうと、やめ続けてしまうと思います。何かをやめて次のステージに進んだときと比べて、やりきることから生まれる自信、達成感を持って次のステージに進んだとき。その際に得られるものや、見える世界が格段と違うのはインターンを7ヶ月間やりきった僕の経験則です。

なので、なにかをやめるときは、「そこに逃げのキモチはないのか?」を自問自答するようにしています。

 

さいごに、いつもやめてばかりで、逃げてばかりな人へこの言葉を贈りたいと思います。

ーーなにかをやってみたとき、大事なのは、結果より自分の力を出し切れたか。

 

ひとが評論するときは、いつだって客観的意見だ

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ナオキケーです。最近、村上春樹氏の「職業として小説家」という本を読んでいます。その本は、彼の小説に関わる意見が12テーマ記されており、小説家を目指す人にとってのガイドライン的役割だけではなく、純粋に彼の考え方が勉強になります。

ーー『風の歌を聴け』を書いて、それが「群像」の新人賞を取ったとき、僕が当時経営をしていた店を、高校時代の同級生が訪ねてきて、「あれくらいのものでよければ、おれだって書ける」と言って帰って行きました。そう言われて、もちろんちょっとむっとしたけれど、それと同時にわりに素直に「まあたしかにあいつの言うとおりかもしれない。あれくらいのものなら、たぶん誰だって書けるだろうしな」とも思いました。(中略)とはいえその同級生がそのあと自分の小説を書いたという話は耳にしていません。

コンテンツを薄めることを恐れるな

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そういえば最近、ブログ投稿をしていませんでした。記事を書く気が無かったというよりかは、記事執筆が完遂できなかったのです。何度も机の前に向かい、思い立ったことをタイプしていました。しかし、「うーん、これじゃあ世に挙げられないなあ」と頭を抱え込んでしまい、執筆を止めていたのです。

インターンをしていたとき、”内容の濃さ”ついて考えたことがあります。毎日記事をUPする代わりに、内容が薄いひと。内容が濃いのだけれど、数日に一回の頻度でしか投稿できないひと。

もちろん、毎日内容の濃い記事を投稿するほうが良いです。ただ上記二択のうちなら、どちらが良いでしょうか?私は、数日に一回でも内容の濃いものを挙げたいタチでした。しかし、インターン先の上司からこんな言葉をいただいたことがあります。

”コンテンツを薄めることを恐れるな” 

ひとが評論するときは、いつだって自分を中心に客観的判断を下す

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私は恐れていただけかもしれません。内容の濃さを言い訳にして、毎日投稿することから逃げていました。毎日投稿していないにもかかわらず私は「記事の内容が薄いものをあげるくらいだったら、毎日投稿しないほうがマシだ」と思っていたんですね。

毎日投稿していないのに、毎日投稿を客観的に判断していたのです。

これがものすごく危険なことだと感じました。ひとが評論(判断)するときは、いつだって客観的です。しかし自分にとって損が生まれるとき、強すぎるバイアスをかけてしまいます。

初めに挙げたように、村上春樹は純文学作家の登竜門である「群像」の新人賞をを受賞しました。にもかかわらず、「あれくらいものでよければ、おれだって書ける」と高校時代の友人に言われたそうです。この話も同じような気がします。実際に小説を書いていない友人が小説を正当に評価できるわけがありません。そこには強いバイアスが伴って判断が下されているのです。

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自己中心的に客観的判断を下すときほど、自分勝手なことはありません。それは一種の暴力に近いものがあります。

強いバイアスのかかった客観的判断は、村上春樹の友人のように、面と向かって下されるときよりも、本人のいないところで、陰口として下されることが大半です。個人的意には、自分のしたことを、していない人に、評価されること自体、あまり嬉しくありません。評価する人自体が評価に値しないと言うか。そんな人にバイアスありきの判断をされたときには…。村上春樹のように、前向きに捉えられるでしょうか?

終わりに

何が伝えたいかと言うと、「やってもないことであれば、安易に評価しないほうが良い」ということです。このこと、わかってはいるんですが、案外身の回りで起こりがちではないでしょうか?

 

 

【フィリピン・セブ島で1番有名な教会】サントニーニョチャーチに行ってきたよ。

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ナオキケーです。サウスピークで働いているときは、卒業生の留学体験談を主に執筆しています。ですが、たまにセブのライフスタイルについて書くことがあります。

souspeak.com

今回訪れたサントニーニョチャーチもセブの有名観光スポットですし、サウスピークのサイトにて執筆すべきなんですけど、あえてこっちに書いてみようと。

サントニーニョチャーチとは

そもそもサントニーニョチャーチってなに?というフィリピン・ならびにセブ島初心者の皆さん。

サントニーニョチャーチは英語でSanto Niño Churchと表します。そう、Church。教会ですね。セブで1番有名な教会です。またフィリピンで最も古い教会でもあります。

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そもそもセブ島にはカトリック教徒が多いので、たくさんの人が礼拝するわけです。その姿を一目見ようと訪れる観光客も後をたちません。

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レイザーラモンHGも唸る派手な衣装に最高のポージング。やはり中国人は観光客の鏡です。

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気を取り直し、中に入るとこんな感じ。主祭壇には、十字架にはりつけられたイエス・キリストや、十二使徒の皆さんが待ち構えています。

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すごいなーっと思ったのはこちら。キリスト教のみなさん、祈るときはひざまずくみたいです。なので足元には、折りたたみ式のクッションがあります。

サントニーニョ教会の魅力

ご覧のように、キリスト教徒ではない観光客からすると、ただの教会。に見えるかもしれませんが、サントニーニョ教会には魅力があります。

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それがコイツ。

「何やこれ?」って感じですが、偉そうな神父たちが頭をナデナデしてあげるくらい大切なモノなのです。

実はこれ、サントニーニョ像といい、かの有名なマゼランから寄贈された幼きイエス・キリストの人形なんです。驚くことなかれ、サントニーニョ教会では、500年前から存在するこの人形を見ることができます。(もちろんホンモノ)

500年もの間に、サントニーニョ教会は2度も焼失しました。しかしこの人形は一度も焼けることなく現状を保っています。

そんなすごい人形があるなら是非とも見たい!と思い、私ももちろん教会内にある安置室へ駆け抜けました。この安置室、やはり大変人気。観光客だけではなく、フィリピン人にとっても大切なものなので、15分から30分程度は待つ必要がありました。

実はこの時間が大事。そこまで会いたいと思っていなかったナオキケーですが、待っているうちに、自然と会いたくなって来たのです。

 

 

「早く会えないかな…」

 

 

遠距離恋愛はこういった感覚なのでしょうか?会いたくても、会えない。そうやって1人でムズムズしていた矢先、ついにそのときは来ました。

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この子に会える!!

 

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大人気のあの子に!!

 

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キター!!!

 

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生のサントニーニョ像!!!!

 

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ナマトニーニョ!!

 

 

一瞬の別れでした。

フィリピン人信者の場合、有り余る神への思いをぶつけていたのですが、私はたった5秒。私の見た目がキモかったからでしょうか?いえいえ。待ってみたものの、神への信仰が全く無いナオキケーは、神の前ですることがなかったのです。まさに立ち尽くすのみでした。

っというわけで、憧れだったサントニーニョ像を見ることができました。その時間にして、5秒。短い別れでしたが……満足です!

まとめ

サントニーニョ像、セブの人から愛されるには訳がありまして。それはなんと、厄除けの効果があるらしいです。実際に僕も手を近づけて見ましたが、何かパワーをいただいた気がします。(たった5秒でも)

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教会内には売店もあり、サントニーニョ像が買えたり、このようなキリスト教徒専用のトレーディングカードゲームもあります。(まじで怒られる) 

営業時間:午前5時~午後7時か9時 無休
タクシーで、「サントニーニョ」と日本語の発音で元気に伝えればOK

アクセスは上記のような感じ。営業時間に関しては、たくさんの観光サイトで確認しました。しかし終了時間が午後7時のものもあれば、午後9時のものもある。正確なものがなかったので、当サイトを見て行かれる方はぜひ「できるだけ早めに行く」ことにしておきましょう。

最後に、サントニーニョ教会のトリビアを紹介しておきます。サントニーニョ教会には、実は博物館がございまして。それがなかなか目につかないところにあり、100ペソでサントニーニョ像の歴史を知ることができます。訪れる際には、探してみてはいかがでしょうか。

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持ってて当然?就職するまでに手に入れたい能力。”グリット〜やり抜く力〜”を考える

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”大学生のときに身につけておくべきスキルは何か?”

と考えることが多い、ナオキケーこと北山直樹(@naokikei41)です。

実のところ海外インターンを開始するまで、英語力しか見当がつきませんでした。しかし今ものすごく大事なのではないか、と思うスキルがあります。それが「グリット」です。

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グリットとは、日本語で「やり抜く力」を指します。アンジェラ・ダックワース著、ダイアモンド社発行の本やり抜く力が去年、多くの書店にて平積みされており、ご存知の方も多いと思います。

私こちらの本を読んだわけではないですが、大事だと感じるゆえ一筆します。

グリットがなければ、評価されない。なぜならやり抜けないから

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本記事の要旨をまとめると、以下の通りになります。

社会で評価される人は皆、グリットを持っています。そんなグリットを大学生の時点で持っていると、就職活動においても当然評価されるのです。

ここでは社会で評価される人の定義が大事になってきますので、共有します。社会で評価される人とは、周りの人の仕事に関わっていける人を指します。視座が高い人、リーダシップがある人と言い換えることも可能です。

インターン経験を通して感じたのは、自分の仕事をしたところで、評価されません。なぜなら、それは当たり前のことをしたに過ぎないからです。視座を高く、周りをまきこんで仕事をする人は評価されていました。

周りの人の仕事に関わるのは、自分の仕事ができている前提です。つまり余裕がある上で、自ら厳しい環境に飛び込んでいます。この場合、当然負荷は大きくなります。グリット(やり抜く力)がないと、せっかく周りの人の仕事に携わっても、中途半端に終わり、さらには出来ていたはずの自分の仕事に差し支えが生じます。

社会で評価される(周りの人の仕事に関わり、成果を出す)人には、やり抜く力が不可欠です。

グリットは大学生になるまでに形成したい

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ただ、グリットって多くの人がすでに持っていると思うんですよ。というのも、グリットは高校時代の部活動と受験のどちらかで、手に入れられるからです。

グリットを手に入れるには、長期間、厳しい環境ながらも耐え忍び、成果を出さなければいけません。だから部活か、受験を経験しておくと、案外グリットがあったりします。

逆説的に言えば、グリットがない人は危険なんですね。特に大学生になると、大学生活内で、”長期にわたる厳しい環境”を持つことは難しいです。なにせ、「大学は人生における夏休み」と揶揄されるくらいですから。

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そんな方には、留学しましょう。留学も結局は本人のやる気次第ですが、ただ国際交流するだけでも意外大変です。その期間ずっと辛くても良いです。途中帰国することなく、その国で生活し続ければ、留学最終日には、「やり抜いた!」っと達成感に浸ることができるでしょう。その時は、心の底からガッツポーズをしてください。

 

 終わりに

読者の中には、「仕事を始めてからグリットを身につければ良い」と思う方もいるのではないでしょうか?

前述の通り、やり抜く力を身につけるには、長期間、厳しい環境で努力をし成果を出す必要があります。

グリットがないと、過酷な労働環境に身をおいても、耐えられません。気持ち半ばで仕事を辞めてしまうこともあり得ます。思うに、就職するまでやり抜いたこともなかった人が、仕事を通してグリットを手に入れることは難しです。グリットを持っている人が、さらに過酷な経験を経て、グリットを洗練させることはできても、生み出すことはできません。

なので大学生活までに、是非とも身につけておきましょう。

大嫌いなアイツと10年ぶりにコンタクトをとってみた

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どうも、20歳のナオキケーです。(@naokikei41

みなさんは、嫌いなものありますか?

私には1つだけ嫌いなものがありまして、それがキュウリなんです。どうしてもあの青臭さが耐えられず、周りの人が食べることすら許せませんでした。

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でもキュウリって、やたら料理のなかに紛れているんですね。サラダだったり、寿司だったり。一度キュウリと触れてしまうと、匂いが移ってしまうので、その料理自体食べられなくなってしまいます。

そんな大のキュウリ嫌いの私が、連れと一緒にレストランに行ったときのことでした。その連れは、キュウリを食べることを強要してきたんですね。その連れには普段から「苦手意識は克服できる。問題から逃げるな」と強く言っていたので、その仕返しと言わんばかりに、そんな無理難題を押し付けてきたのです。

結論から言うと、連れからの無茶を振り切ることができず、10年ぶりにキュウリを食べました。

食べた感想は、意外にも「おいしい」でした。

問題意識はイメージ先行しがち

びっくりしました。なぜなら、まさか10年間避け続けてきたキュウリを体が受けつけるとは、思わなかったからです。そこで感じたのは、「キュウリに対するイメージをネガティブに増大させていた」ということです。

問題から避ければ避けるほど、その問題に対するイメージはネガテイブに膨らみます。物事にはネガティブだけではなく、ポジティブな面もあります。しかし1度ネガティブに傾くと、そのイメージを変えること難しいです。

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具体例でいうと、私は「キュウリって味ないじゃん。90%が水分で成り立ってるから、栄養素ないよ。それじゃあ水飲んだほうがマシ」と食べない理由を説明できるようになっていました。

私はネガティブにイメージを働かし、「キュウリは味がない(10年間キュウリ食べてないけど)」「90%水分だから栄養素ない(どこかで聞いた)」と勝手に決めつけていたのです。これをバイアス(偏見)といいます。

人間関係から生じる問題には、早期段階で解決策を投じる

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人間関係も同様に考えられます。ヒトの悩みの99%が人間関係から生じるという話を聞いたことはありますか。人間関係で問題を抱えているとき、「あの人は私に対して、こう思っているんだろうな・・・」と想像することがありますが、多くの場合はネガティブにしか結論を出せません。

そんなときは悩んでも時間の無駄です。そこで私は「直接相手と話をしてみる」ことを推奨しています。

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直接会えないときは、SkypeやLineでも良い。バイアスをなくすことが大事。

著アラン・R・コーエン氏の影響力の法則―現代組織を生き抜くバイブルにも記されている通り、対人関係における問題解決のもっと優れた方法は「直接相手と話す」ことです。なぜなら実際に会話をするときは、ネガティブなイメージをすることなく、事実に基づいて判断できるからです。

終わりに

本記事で何が言いたいかというと、問題を解決するなら直接向き合うのが1番ということです。イメージを膨らませても、ネガティブな意見に偏ることが多い。

話を戻しますが、今回の場合、キュウリに対しても「直接話をしてみた」ようなものですよね。(擬人法)バイアスをなくして事実をもとに判断してみると、意外な結果が待っていることもしばしばあります。そう思える簡単な方法として、あなたにとって大嫌いなアイツ(食べ物)とぜひコンタクトをとってみてはいかがでしょうか。

 

 

【大学生の選択肢】「ヤるか、ヤらないか」じゃなくて「ヤるか、すぐヤるか」

どうも、ナオキケーこと北山直樹(@naokikei41)です。

最近、休学して海外インターンをしているからか、大学の友人から相談されることが多々ありまして。その相談内容の大体は、「将来について」です。そんなとき私から言えることは、決まっているようなものです。

それは「やるか、やらないか」ではなく「やるか、すぐやるか」だということです。

今回はこの持論を掘り下げようと思います。

迷ったら、本も「買う」ハンバーガーも「食べる」

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まず、ひとこと言っておきたいのは、大学生は迷ったときに考えすぎです。正しくは、悩みすぎと言うべきでしょうか。考える力のない大学生が悩んでも、正しい結論にたどり着くとは限りませんし、なにより時間の無駄です。

例えば、本を買うか迷ったとします。たいていの大学生は、本を買うか考えますが、考える力がないので、その本の価値を適切に判断できません。結果として時間を浪費した上で、購入を断念します。皆さんにもこのような経験はなかったでしょうか?

考えた上で適切な判断ができるのは、”経験”と”考える力”を兼ね備えた人のみです。そのため考える力がない大学生は、迷ったら考えずに行動を起こすのが吉です。

この論理を踏まえた上で、将来について考えてみましょう。将来について、適切な判断をできる人は、どれくらいいるのでしょうか。第一に友人に相談している時点で、怪しいところです。そんなときは悩む前に、まず行動してみる。前に進まないのが一番もったいない。

とは言ってもいきなりそんな風には、なれません。そのために、「悩んだときに、まずは行動を起こすこと」を習慣化することを推奨します。前述の場合でも、本は迷ったらまず買う。服も買う。ハンバーガーも迷ったら考える暇なく、食べる。

新たにやることは、今までの何かを捨てること

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もう少し、話を大きくしてみましょう。大学生の悩みごとは、休学して自分のしたいことをすべきか(留学、海外インターン、世界一周等)が多いです。多くの方は「する」という方向で決断できないんですね。なぜなら新たに何かをすることは、今までの何かを捨てることだからです。

1日は24時間しかありません。その中でやることはルーティン化してきます。そのルーティンを壊すのは怖い。それがルーティンたる所以です。

しかしそのままだと、いつまでたっても新たにステージに行くことができません。大学生は、失うものはないと思って良い。悩んでも次のステージ(前)に進めないのなら、脳を使わずに勢いで決定する方が得策だと私は考えます。

結果としてやった後に後悔しても、その後悔をもとに改善することができる。その時点で前には進めていますからね。

「やるか、やらないか」ではなく、「やるか、すぐやるか」

つまるところ、「大学生にやらないの選択肢は必要ない」のかもしれません。やった後悔を多く得た人ほど、改善する機会を多く得ているので成長できる。そうなれば、「やるか、やらないか」なんて次元の話ではなく、求められている答えは「やるか、すぐやるか」にあるのです。