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〜自分と向き合う時間〜

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【大学生の選択肢】「ヤるか、ヤらないか」じゃなくて「ヤるか、すぐヤるか」

どうも、ナオキケーこと北山直樹(@naokikei41)です。

最近、休学して海外インターンをしているからか、大学の友人から相談されることが多々ありまして。その相談内容の大体は、「将来について」です。そんなとき私から言えることは、決まっているようなものです。

それは「やるか、やらないか」ではなく「やるか、すぐやるか」だということです。

今回はこの持論を掘り下げようと思います。

迷ったら、本も「買う」ハンバーガーも「食べる」

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まず、ひとこと言っておきたいのは、大学生は迷ったときに考えすぎです。正しくは、悩みすぎと言うべきでしょうか。考える力のない大学生が悩んでも、正しい結論にたどり着くとは限りませんし、なにより時間の無駄です。

例えば、本を買うか迷ったとします。たいていの大学生は、本を買うか考えますが、考える力がないので、その本の価値を適切に判断できません。結果として時間を浪費した上で、購入を断念します。皆さんにもこのような経験はなかったでしょうか?

考えた上で適切な判断ができるのは、”経験”と”考える力”を兼ね備えた人のみです。そのため考える力がない大学生は、迷ったら考えずに行動を起こすのが吉です。

この論理を踏まえた上で、将来について考えてみましょう。将来について、適切な判断をできる人は、どれくらいいるのでしょうか。第一に友人に相談している時点で、怪しいところです。そんなときは悩む前に、まず行動してみる。前に進まないのが一番もったいない。

とは言ってもいきなりそんな風には、なれません。そのために、「悩んだときに、まずは行動を起こすこと」を習慣化することを推奨します。前述の場合でも、本は迷ったらまず買う。服も買う。ハンバーガーも迷ったら考える暇なく、食べる。

新たにやることは、今までの何かを捨てること

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もう少し、話を大きくしてみましょう。大学生の悩みごとは、休学して自分のしたいことをすべきか(留学、海外インターン、世界一周等)が多いです。多くの方は「する」という方向で決断できないんですね。なぜなら新たに何かをすることは、今までの何かを捨てることだからです。

1日は24時間しかありません。その中でやることはルーティン化してきます。そのルーティンを壊すのは怖い。それがルーティンたる所以です。

しかしそのままだと、いつまでたっても新たにステージに行くことができません。大学生は、失うものはないと思って良い。悩んでも次のステージ(前)に進めないのなら、脳を使わずに勢いで決定する方が得策だと私は考えます。

結果としてやった後に後悔しても、その後悔をもとに改善することができる。その時点で前には進めていますからね。

「やるか、やらないか」ではなく、「やるか、すぐやるか」

つまるところ、「大学生にやらないの選択肢は必要ない」のかもしれません。やった後悔を多く得た人ほど、改善する機会を多く得ているので成長できる。そうなれば、「やるか、やらないか」なんて次元の話ではなく、求められている答えは「やるか、すぐやるか」にあるのです。

【再スタート】自戒の念を込めて。 「習慣化するためには、どうすれば良いのか」を考える

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どうもナオキケーです(@naokikei41

お久しぶりです。

毎日ブログを書く!と決めてから意識的にブログを執筆するようにしていました。が、継続することはできませんでした。(本記事は最後に投稿してから、42日ぶりのものとなります。)

どうしてできなかったのか?を考えるとともに、「どうすれば習慣化できるのか」について考えてみようと思います。

なぜ習慣化できなかったのか?

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結論から言うと、ブログ記事を執筆することが楽しくなくなったからです。

そもそもなんですが、ブログをする理由は2つありました。1つ目は、ブログがアウトプットの場として有効だからです。というのも、私はインプットした情報を知識として蓄積していくには、アウトプットをして理解を深める必要があると考えています。

何かを定着させるには「実践しないと、身につかない」ものです。野球でいえば、「素振りをするだけではなく試合に出る」ことであり、英語学習でいえば「単語や文法を覚えるだけではなく、長文読解や多読をする」ことと同等です。

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2つ目は、場数を踏みたかったからです。現在、サウスピークのインターンとして留学体験談を中心に執筆活動をしていますが、やはり数に勝る経験はない。サウスピークで記事を投稿することが本番だとすれば、ブログが練習でも良い。仕事のパフォーマンスを上げるためにブログを利用しようと思いました。

そんなしっかりとした動機をもとにブログを始め、”毎日投稿”に関しては、PDCAサイクルを多く回せますし、日頃から考える機会が多くなると思い挑戦していました。

ですが、ブログを毎日投稿していた頃はどうだったでしょうか?最終的には、”締め切りに追われるライター”になっていました。本来は上記の2点を目的として始めたのに、「毎日投稿すること」が目的になっていたんです。

「毎日投稿する」ことは手段のはずなのに、それが目的になる。そうです。手段の目的化です。手段の目的化が発生すると、強い動機すら忘れてしまい、疑問が生まれ、楽しさが消えてしまいます。

つまり今回のケースでは、しっかり本来の目的を踏み違えずに入れば、毎日投稿が続いたのかもしれません。

習慣化するために必要なコト

正直なところ、本来の目的からすれば毎日投稿する必要はなかったのかもしれないのです。
※断っておくと、毎日投稿すること自体を否定する気は全くありません

毎日投稿が足かせとなり、最後にはブログ自体をストップさせてしまった。これって本末転倒ですよね。

習慣化するために大事なことは、「無理をしない」ことです。

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例えば、皆さんが習慣化できていることは、すごい簡単なことばかりだと思います。歯磨きは、近くに歯ブラシと歯磨き粉があるからするわけであり、近くになければ、必ずしもするとは限りません。心理的にハードルが高いものは、やはり習慣化しにくかったです。

今回の事例で考えてみると、毎日投稿するのではなく、「疲れたときには休めばよかった」です。毎週1本投稿することから次第に数を増やしていき、最終的な目標として毎日投稿にするべきでした。

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また最近実行して効果的だと感じるものは、自宅以外の作業場所を新たに作ることです。

この方法は金川顕教さんの「すごい効率化」にも書かれているのですが、くつろぐ場である自宅は作業をするものではないと。カフェであったり、図書館であったり、集中できる環境を新たに創作し、毎日同じ時間に作業することでルーティン化できるのです。

実際に私はこのブログを近くの日本料理屋で執筆しています。朝8時から同じ席で同じ朝メニューを注文することで、作業も自然と日常化するのでオススメです。

終わりに

これからブログを再開させますが、あえて宣言しておきます。

「ブログを毎日公開しない!!」
繰り返しにはなりますが、本来の目的は、アウトプットソースの確保です。そのため毎日更新することへの重圧が原因で、ブログを更新しなくなるのは是が非でも避けますね。

www.youtube.com

そういえばVALU騒動のヒカルと同じ事務所、禁断ボーイズというグループも同じように「毎日投稿する意義」で揉めていたみたいです。手段の目的化は怖い。気長にブログと付き合っていこうと思います。

「自分を持つ」必要なんてあるのだろうか?

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どうも、ナオキケーこと北山直樹です(naokin0811@twitter.com

ここ最近「自分を持っているね」と言われます。「自分を持っているヒト」とはどういうヒトでしょうか?

イメージしてください。みなさんが想像したのは、イチローや、本田圭佑のような人物ではないでしょうか。共通しているのは、”自分の流儀”を持っているヒト。噛み砕けば、「自分の意見があるヒト」を指すのだと思います。

でも、本当に自分を持つ必要があるのでしょうか?

「自分を持つ」意識は必要ない

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結論から言うと、「自分を持つ」必要はないと思います。

こう言い切れるのは「自分を持つ」と、人からの影響を受けなくなってしまうからです。というのも「自分を持つ」と、周りからのアドバイスを受けるとき、素直に受け入れられません。「一旦咀嚼して、自分の中に取り込む感じ」です。自分の意見が、他者のアドバイスを邪魔してしまい、インプットに時間がかかります。「インプット効率が悪い」わけです。

そもそもなんですが、周りからのアドバイスって大事です。特に自分を成長させたいときは、「素直に人からの意見を聞く」ことは手っ取り早いです。というのもインプットの量が増えるので、そのぶんだけアウトプットができることも増えるからです。アウトプットできることが増えると、成長できますからね。周りからの影響は成長したいときこそ、大事だと言えます。

つまり大学生のようなノースキルで、成長しないといけない人ほど、人からの影響は素直に受け入れるべきです。主観的に「俺って自分持ってるなあ」というのは、悪影響でしかないですね。そういう人ほど、自分の成長を自分自身で阻害しています。

「自分を持っている」と思われることは良い

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一方で、周りから「自分を持っている」と思われることは良いです。なぜなら、これはたくさんの意見を取り入れた上での”自分”が評価されているからです。自分を持っていないからこそ、成長することができた”自分”という客観的事実を素直に喜びましょう。

少し矛盾しているように見えますが、「自分を持っている」を”思う”のと、”思われる”のでは全く違います。

前述のイチローや、本田圭佑も、きっと「自分を持っている」と言われるまでに、いろんな人に影響を受け、彼ら自身を確立したことです。大事なことなので2回言いますが、「自分を持っていないからこそ、周りからの影響によって成長できた」わけで、その結果、「自分の意見を持つほどになった」のです。

終わりに

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思うに、僕自身も割と「自分を持っていないヒト」だと思っています。インターン開始当初は、「出来ないのだから、上司の言うことは全部聞こう」と言い聞かせたものです。その積み重ねの結果として、最近「自分を持っているね」と言われるようになったのですから、「自分を持つ」必要なんてないのでしょうね。

しょせんインターンなのか。されどインターンなのか。

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どうも、ナオキケーこと北山直樹です(naokin_0811@twitter.com)

実は、最近悩んでいたことがありました。それはインターンが「しょせんインターンなのか?」それとも、「されどインターンなのか?」ということです。

2週間ほど前に、サウスピーク日本語禁止校から、プレミアム校に異動になりました。そこで、よく言われるのが、インターンなのに、すごいしっかりしているね」ということです。

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私はこの言葉に違和感を感じずには、いられませんでした。なぜならこれには無意識に、「インターンは仕事ができない」という前提条件が働いているふうに思ったからです。「インターンは仕事ができないものだけど、それなのにナオキくんは仕事をしっかりしているね」というニュアンスを感じてしまいます。

この言葉を言われたとき、ものすごく悔しかったんですね。「インターンは、やっぱり期待されていないんだろうな」と思いましたし、立場の低い存在であることを再認識したのです。

でも「しょせんインターンだから」と自分自身を思い込ませることはできないんです。なぜならインターンは、「インターンとして振舞っていては意味がない」と思っているからです。

「しょせんインターン」より、「されどインターン」を突き通す

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 インターンをわざわざ始めた動機を思い出すと、そこには「経験したい」がありました。今でこそサウスピークのインターンでは、「記事執筆を通して、広告活動をする」という価値を見出しています。しかしインターンを開始する前は、そうではなかったんです。

というのも、もともと生徒として留学を行なったことで、”サウスピークの留学”に価値を見出していました。だからこそ、”サウスピークのインターン”にも自然と価値が見出せたのでしょう。あえて言葉にするなら、「そんなサウスピークでインターンをすれば、きっといい経験ができて、成長ができそう」と、”経験そのもの”が価値でしたね。

だからインターンは”経験をすること”に意味があり、本来インターン中は”経験できそうなこと”から逃げてはいけないんです。つまり、「しょせんインターン」として振る舞うことは、受動的で、経験から遠ざかってしまうので、「されどインターン」を演じるべきなのです。

この悔しさをポジティヴに

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これからも私がしっかりと振る舞えば、インターンなのに、すごいしっかりしているね」と言ってもらえるでしょう。結局この悔しさは、消えそうにありません。それでも、これって客観的捉えれば、インターンに対する、最高の褒め言葉なんでしょうね。だからこそ、インターンという立場は変えられませんし、この言葉を一回でも多く聞けるように努力したいと思います。

終わりに

もちろんインターンという立場で、得することはたくさんあります。前述の通り、インターンには責任が伴いませんから、割と自由に行動できます。正社員の方も、インターンを守ろうとしてくれますし、仕事をする環境を整えてくれているのは確かです。
だからこそ絶対にしてはいけないのは、「インターンだから」という言い訳をすることです。「しょせんインターンだし、正社員の人守ってよ」であったり、「しょせんインターンだし、生徒さん怒るの止めてくださいよ」ということだけは避けたいです。
「されどインターン」として、インターンを盾にすることはしません。これは私にとって、決意表明です。