【人間関係】「お前のためを想って〜」と注意するのは、もうやめよう
注意することは、ストレス発散の道具じゃないよ
こんばんは、ナオキケー(@naokikei41)です。ここ最近、うっかりミスや、考え方を注意されることが多いです。そこで1つ思いました。
「お前のためを想って言うけど、〜したほうがいいよ。」と言うのはウソですよね。
実はコレ、お前(注意されるひと)のことを想ってないんです。 自分のためですよ。自分が迷惑を被って、多少ばかりともストレスがたまり、そのストレスを発散するために言っているような気がしました。
注意することは、ストレス発散の道具じゃないよ。
「いや、他の人も同じように迷惑を被りそうだから、それを事前に防ぐため、私が注意してるんだ」と言うかもしれません。
でも「お前のためを想って〜」が発動するときって、注意される人が事前に何か、しでかしてますよね、当たり前ですけど。
注意される人が”良いこと”した後に「他の人だと迷惑と感じる行為だから、注意するけど〜」なんて言う人、見たことありません。
この手の注意には、注意する人のストレス発散が起因していると思いました。
だからこそ、この手の注意はすごく威圧的であることが多い。そこで改めて、注意するときこそ「本当に、相手のためを思っての注意か」と自問してあげてください。それを踏まえると、自然と気遣いのある注意になるはずです。
相手を想った注意をする3か条
- 人格否定していないか
- 注意する際に前置きは十分か
- 表情や話すスピードに配慮があるか
これらは、気遣いのある注意をするためのチェックリストです。
まず1つ目ですが、注意した相手が反論してきて、ヒートアップしてしまい、思わず「お前、ダメやな…」と言っていませんか?人格否定はいかなる注意の範疇を超えています。
2つ目に、注意する本題に入る前に「勘違いしてほしくないんだけど、本当に○○のことが大好きだから、言いたいことで〜、」のように前置きを置いて、相手に気遣いができているでしょうか。
基本的に注意する内容は、相手(注意される人)から
すると気持ちよくないことです。それを前置きなしに言っても、相手は嫌な気持ちになって終わり。すんなりと理解して、改善してくれるワケありません。
最後に、いらつきが顔に出ていませんか?スピードは、問い詰めるように速くなっていませんか?本当に相手を想っていれば、ゆっくり、伝わる速さかつ、優しい顔で注意しているはずです。
オブラートを包まずに生きてきたあなたへ
「お前のためを想って〜」を言っちゃう人って、自分のことを率直な人だと思ってる気がします。率直に、オブラートを包まず注意するのは構いません。でも「お前のためを想って〜」は、オブラートだけでなく、薬を飲むために不可欠な「水」までないようなものです。
この場合「水」は気遣い。注意する内容を相手に円滑に飲み込んでもらうには、水の役割を果たす「気遣い」が必要ではないでしょうか。
自由に生きることが理想だと思う大学生のわたし(20)
たくさんの価値観に触れるために、有名な本を読みあさっている。ビジネス書に限らず、とりあえず読む。今では著作権が50年以上(★)経ったものは、無料で読めるので、時代に関わらず読む。
そうして読み続けているうちに、引っかかるテーマに出会った。それは「自由に生きる」ということである。人は自由を求める。なんで?と聞かれても、そういうものだと思う。不自由の方が良いという人を聞いたことがない。(今回はこの点を掘り下げるつもりはない)
”自由に生きるってなんだ?”
今回はこの問いについて考えてみたい。
自由に生きるには、好きなことを仕事にすること
自由に生きるにはどうすれば良いのか?
結論から言えば、自由に生きるには、好きなことを仕事にするべきである。
仕事は生活と直結している。例えばひとは毎日、通勤も含めて10時間もの時間を仕事に費やしている。歯を磨いたり、お風呂に入るように、ひとはとうぜん毎日働く。そう考えると、仕事はライフスタイルである。
不自由の状態が「無理を強いられている状態」だと言い換えるなら、嫌なことを仕事にしているのは、自分の気持ちに対して無理を強いていると言える。その場合仕事をしているときは、不自由。つまりライフスタイルも不自由なのである。
具体例をあげよう。
僕は1年間休学をして、インターンをしている。語学学校でインターンをしていたときは、仕事を辞めて留学している日本人と話す機会が多かった。
大企業に勤めていた方に転職先を聞いてみると興味深い。実に多くの人がベンチャー企業や自営業など、前職とは違った業種を目指していたのである。
思うに、大企業に入って上司に怒られまくる。社会に揉まれる。彼らの仕事に対する新たな決断は、「あ、社会ってこんなもんなのか」と現実を味わった後に、「私はこういう世界に身を置くんじゃなくて、好きなことでやって生きたい」という教訓をもとに出した結論だ。
つまり自分に無理を強いることなく自由に生きるには、ライフスタイルである仕事自体を楽しいものにしなければならない。
大学のうちはしたいことを見つけられれば、それだけで上等
では仕事を楽しくするにはどうすればいいのか?
社会人であれば、前職で培ったスキルを趣味に活かすことだ。新しくスキルを身につけるより、身につけたスキルを趣味に活かすほうがずっと効率が良い。もちろん、そのためにはどうすればいいか考える必要がある。この課題においては、いわゆるアナロジー思考が有効だ。
アナロジー思考では、一見離れているもの同士の共通項を見つけ出して捉える。例えば、キャビアテンダントとして航空産業で働いていたスキルを、メディア業で活かせないかというと、否である。一見離れた業界に見えるが、キャビンアテンダントのもてなす力が生きるメディア業を探せば良いのだ。
大学生であれば、好きなことを見つけよう。好きなこととは何か?というのは意外と返答に困る質問である。注意すべきは、得意なものと好きなものを混同して考えないことだ。この2つは区別して考える。
得意なことは利己的であり、常に周りの目を気にしてしまうものである。一方で、好きなことはもっと静かで落ち着いたものである。周りのことを気にすることなく、そのことを考えているだけでニヤニヤしてしまうことだ。
こう考えれば、きっと本当の好きなことを見つけられるのではないか。
最後に
好きなことで生きていく
というのはユーチューバーの決まり文句である。一流企業で働いている人と比べ、学歴やスキルで言えば、劣る点はあるのかもしれない。それでも素晴らしいと思う点は、彼らが好きなことを仕事にしていること。それは自由であるし、結局、人が行き着く本能の部分だと思っている。
こちらはオーストラリアに来て出会ったカフェを営んでいる夫婦の写真。ずっと幸せそうだったし、自由そうだった。
収入が全てではないし、業種が全てでもない。仕事を選ぶ判断基準として、「自由に生きれそうか」を入れてみたいと思った。
「わたしは弱い!」そんな自分を克服したい大学生にワーホリのススメ
どうもナオキケーこと北山直樹です。(@naokikei41)
東南アジアでもインターンを終え、オーストラリアに来ています。こちらへ来て、約1週間が経過しました。近況報告がてら、ブログの更新です。
オーストラリアの生活を1週間経験してみて、”弱い自分”を克服したい大学生ほどワーホリは良いのでは?と思っています。なぜなら、ワーホリは0からのスタートすぎるからです。
ワーホリ当初は自ら生活を創る
・家がない
・仕事がない
・友達がいない
・目標がない
これらはワーホリ当初にぶつかる問題点です。
ワーホリをする方の多くは、ゲストハウスに1週間程度宿泊し、その間に住まいと仕事を決めます。日本の物件探しと同じで自分の目で確かめてから(ワーホリ用語でInspectionといいます)、住むのがほとんどです。また仕事も直接レストランやカフェなど自分が働きたい店に出向き、履歴書を渡さないと雇ってもらえません。
皆さんはマズローの欲求5段階説をご存知でしょうか?これは人間の欲求を五段階で表したものです。住まいと仕事が見つかっていない状況は、最低限満たすべき欲求すら満たしていないも同然で、苦しみという表現より、絶望と表現できます。
友達がいない状態で始まるのもワーホリで、語学学校に行けば話は別ですが、行かなかった場合、現地に相談相手すらいない状況に陥ります。
つまりワーホリ開始すると、まず生活を創ることからスタートと言えるでしょう。
弱さを克服するタイミング
ワーホリ開始当初は、日本では考えられないようなレベルの欲求を満たす努力をしなければなりません。家がない生活を想像できますか?家がなければ、実家でなくとも友人の家に転がりこめば良いですし、アルバイトが見つからなくても、親のスネをかじって入れば良いのです。(アルバイトが見つからないことは無いですが)
ワーホリではそういうわけにはいきません。ワーホリをしているうちは、この住まいと仕事を手に入れないと前に進まないのです。たしかに逃げて日本に帰ることも可能です。しかし帰国することは、弱い自分から逃げるのと等しいのです。このとき、1度目の弱さを克服するタイミングを迎えるのです。
2度目の弱さを克服するタイミングが「目標がない」をどう乗り越えるか考えるときです。マズローの欲求5段階説でいうと、目標を持ち、達成したいという欲求は尊厳欲求、自己実現欲求にあたります。
住まいが見つかり、仕事にも慣れてきたところで、「このままでいいのか?」と疑問を抱く人は多いです。たしかにインターンと違って、スキルがつくと確信できるわけはありませんから。
そうならないためには、しっかりと目標を決めましょう。「ワーホリ中にバリスタの資格を取って、日本でアルバイトに生かす」でも良いと思います。「ボランティアとして現地にいる子供の教育に携わり、英語で教育ができるという武器を持つ」であったり、白人に負けない英語を話せるようになる!であったり。目標を持ち、そこから逆算できるかどうかで、何もできない弱い自分から脱却できるのではないでしょうか?
最後に
大学生のときに、ワーホリにいくのはアリだなと思っています。再論ですが、Oからのスタートすぎて、ここまで人間らしく生きることを考える機会はそうそう無いです。なにせ、最低限の欲求を満たすところから始めるわけですから。仮に就職活動に活かせなくても、人生の経験としてきっと活きるはずです。
約束を守らない人は、ずっと守らない
「約束を守らない人は、ずっと守らないよ」
とインターン先の上司から過去に言われたことがありました。
最近「やめること」について、ふとすれば考えています。約束を守らないとは、「約束する」をやめることであり、たしかに約束を破る人は、平気で何度も約束を破るイメージです。そういった経験からか、やめることに関してはあまりイメージが良くありません。
その反面、やめることは良いことだという人もいます。たとえば「仕事をやめる」のは、もちろん色々な状況があり得ますが、ブラック企業をやめることも、キャリアアップのために仕事をやめるのも、概して勇気のいることです。「よくやった!」と言う人がいるのも頷けます。
人生の大半は他者との関わりが生ぬるく、基本的に「健康であればそれでいい」という関係だと思います。なので、よく自慢げに「〜をやめた」と言う人がいて、それを「そうなんだ。まあ次に進めるし、良いんじゃないの」と言ってしまうのですが、改めて、やめることはよろしくない。と声を大にして言いたいです。
やめることが癖になると、逃げグセがついてしまいますからね。冒頭の”約束を守らない人”ではないですが、一度やめてしまうと、やめ続けてしまうと思います。何かをやめて次のステージに進んだときと比べて、やりきることから生まれる自信、達成感を持って次のステージに進んだとき。その際に得られるものや、見える世界が格段と違うのはインターンを7ヶ月間やりきった僕の経験則です。
なので、なにかをやめるときは、「そこに逃げのキモチはないのか?」を自問自答するようにしています。
さいごに、いつもやめてばかりで、逃げてばかりな人へこの言葉を贈りたいと思います。
ーーなにかをやってみたとき、大事なのは、結果より自分の力を出し切れたか。