頭サビ9割

頭サビ9割

〜自分と向き合う時間〜

MENU

しょせんインターンなのか。されどインターンなのか。

f:id:noad2203:20170724224143j:plain

どうも、ナオキケーこと北山直樹です(naokin_0811@twitter.com)

実は、最近悩んでいたことがありました。それはインターンが「しょせんインターンなのか?」それとも、「されどインターンなのか?」ということです。

2週間ほど前に、サウスピーク日本語禁止校から、プレミアム校に異動になりました。そこで、よく言われるのが、インターンなのに、すごいしっかりしているね」ということです。

f:id:noad2203:20170724224706j:plain

私はこの言葉に違和感を感じずには、いられませんでした。なぜならこれには無意識に、「インターンは仕事ができない」という前提条件が働いているふうに思ったからです。「インターンは仕事ができないものだけど、それなのにナオキくんは仕事をしっかりしているね」というニュアンスを感じてしまいます。

この言葉を言われたとき、ものすごく悔しかったんですね。「インターンは、やっぱり期待されていないんだろうな」と思いましたし、立場の低い存在であることを再認識したのです。

でも「しょせんインターンだから」と自分自身を思い込ませることはできないんです。なぜならインターンは、「インターンとして振舞っていては意味がない」と思っているからです。

「しょせんインターン」より、「されどインターン」を突き通す

f:id:noad2203:20170724225325j:plain

 インターンをわざわざ始めた動機を思い出すと、そこには「経験したい」がありました。今でこそサウスピークのインターンでは、「記事執筆を通して、広告活動をする」という価値を見出しています。しかしインターンを開始する前は、そうではなかったんです。

というのも、もともと生徒として留学を行なったことで、”サウスピークの留学”に価値を見出していました。だからこそ、”サウスピークのインターン”にも自然と価値が見出せたのでしょう。あえて言葉にするなら、「そんなサウスピークでインターンをすれば、きっといい経験ができて、成長ができそう」と、”経験そのもの”が価値でしたね。

だからインターンは”経験をすること”に意味があり、本来インターン中は”経験できそうなこと”から逃げてはいけないんです。つまり、「しょせんインターン」として振る舞うことは、受動的で、経験から遠ざかってしまうので、「されどインターン」を演じるべきなのです。

この悔しさをポジティヴに

f:id:noad2203:20170724225836j:plain

これからも私がしっかりと振る舞えば、インターンなのに、すごいしっかりしているね」と言ってもらえるでしょう。結局この悔しさは、消えそうにありません。それでも、これって客観的捉えれば、インターンに対する、最高の褒め言葉なんでしょうね。だからこそ、インターンという立場は変えられませんし、この言葉を一回でも多く聞けるように努力したいと思います。

終わりに

もちろんインターンという立場で、得することはたくさんあります。前述の通り、インターンには責任が伴いませんから、割と自由に行動できます。正社員の方も、インターンを守ろうとしてくれますし、仕事をする環境を整えてくれているのは確かです。
だからこそ絶対にしてはいけないのは、「インターンだから」という言い訳をすることです。「しょせんインターンだし、正社員の人守ってよ」であったり、「しょせんインターンだし、生徒さん怒るの止めてくださいよ」ということだけは避けたいです。
「されどインターン」として、インターンを盾にすることはしません。これは私にとって、決意表明です。