持ってて当然?就職するまでに手に入れたい能力。”グリット〜やり抜く力〜”を考える
”大学生のときに身につけておくべきスキルは何か?”
と考えることが多い、ナオキケーこと北山直樹(@naokikei41)です。
実のところ海外インターンを開始するまで、英語力しか見当がつきませんでした。しかし今ものすごく大事なのではないか、と思うスキルがあります。それが「グリット」です。
グリットとは、日本語で「やり抜く力」を指します。アンジェラ・ダックワース著、ダイアモンド社発行の本やり抜く力が去年、多くの書店にて平積みされており、ご存知の方も多いと思います。
私こちらの本を読んだわけではないですが、大事だと感じるゆえ一筆します。
グリットがなければ、評価されない。なぜならやり抜けないから
本記事の要旨をまとめると、以下の通りになります。
社会で評価される人は皆、グリットを持っています。そんなグリットを大学生の時点で持っていると、就職活動においても当然評価されるのです。
ここでは社会で評価される人の定義が大事になってきますので、共有します。社会で評価される人とは、周りの人の仕事に関わっていける人を指します。視座が高い人、リーダシップがある人と言い換えることも可能です。
インターン経験を通して感じたのは、自分の仕事をしたところで、評価されません。なぜなら、それは当たり前のことをしたに過ぎないからです。視座を高く、周りをまきこんで仕事をする人は評価されていました。
周りの人の仕事に関わるのは、自分の仕事ができている前提です。つまり余裕がある上で、自ら厳しい環境に飛び込んでいます。この場合、当然負荷は大きくなります。グリット(やり抜く力)がないと、せっかく周りの人の仕事に携わっても、中途半端に終わり、さらには出来ていたはずの自分の仕事に差し支えが生じます。
社会で評価される(周りの人の仕事に関わり、成果を出す)人には、やり抜く力が不可欠です。
グリットは大学生になるまでに形成したい
ただ、グリットって多くの人がすでに持っていると思うんですよ。というのも、グリットは高校時代の部活動と受験のどちらかで、手に入れられるからです。
グリットを手に入れるには、長期間、厳しい環境ながらも耐え忍び、成果を出さなければいけません。だから部活か、受験を経験しておくと、案外グリットがあったりします。
逆説的に言えば、グリットがない人は危険なんですね。特に大学生になると、大学生活内で、”長期にわたる厳しい環境”を持つことは難しいです。なにせ、「大学は人生における夏休み」と揶揄されるくらいですから。
そんな方には、留学しましょう。留学も結局は本人のやる気次第ですが、ただ国際交流するだけでも意外大変です。その期間ずっと辛くても良いです。途中帰国することなく、その国で生活し続ければ、留学最終日には、「やり抜いた!」っと達成感に浸ることができるでしょう。その時は、心の底からガッツポーズをしてください。
終わりに
読者の中には、「仕事を始めてからグリットを身につければ良い」と思う方もいるのではないでしょうか?
前述の通り、やり抜く力を身につけるには、長期間、厳しい環境で努力をし成果を出す必要があります。
グリットがないと、過酷な労働環境に身をおいても、耐えられません。気持ち半ばで仕事を辞めてしまうこともあり得ます。思うに、就職するまでやり抜いたこともなかった人が、仕事を通してグリットを手に入れることは難しです。グリットを持っている人が、さらに過酷な経験を経て、グリットを洗練させることはできても、生み出すことはできません。
なので大学生活までに、是非とも身につけておきましょう。
大嫌いなアイツと10年ぶりにコンタクトをとってみた
どうも、20歳のナオキケーです。(@naokikei41)
みなさんは、嫌いなものありますか?
私には1つだけ嫌いなものがありまして、それがキュウリなんです。どうしてもあの青臭さが耐えられず、周りの人が食べることすら許せませんでした。
でもキュウリって、やたら料理のなかに紛れているんですね。サラダだったり、寿司だったり。一度キュウリと触れてしまうと、匂いが移ってしまうので、その料理自体食べられなくなってしまいます。
そんな大のキュウリ嫌いの私が、連れと一緒にレストランに行ったときのことでした。その連れは、キュウリを食べることを強要してきたんですね。その連れには普段から「苦手意識は克服できる。問題から逃げるな」と強く言っていたので、その仕返しと言わんばかりに、そんな無理難題を押し付けてきたのです。
結論から言うと、連れからの無茶を振り切ることができず、10年ぶりにキュウリを食べました。
食べた感想は、意外にも「おいしい」でした。
問題意識はイメージ先行しがち
びっくりしました。なぜなら、まさか10年間避け続けてきたキュウリを体が受けつけるとは、思わなかったからです。そこで感じたのは、「キュウリに対するイメージをネガティブに増大させていた」ということです。
問題から避ければ避けるほど、その問題に対するイメージはネガテイブに膨らみます。物事にはネガティブだけではなく、ポジティブな面もあります。しかし1度ネガティブに傾くと、そのイメージを変えること難しいです。
具体例でいうと、私は「キュウリって味ないじゃん。90%が水分で成り立ってるから、栄養素ないよ。それじゃあ水飲んだほうがマシ」と食べない理由を説明できるようになっていました。
私はネガティブにイメージを働かし、「キュウリは味がない(10年間キュウリ食べてないけど)」「90%水分だから栄養素ない(どこかで聞いた)」と勝手に決めつけていたのです。これをバイアス(偏見)といいます。
人間関係から生じる問題には、早期段階で解決策を投じる
人間関係も同様に考えられます。ヒトの悩みの99%が人間関係から生じるという話を聞いたことはありますか。人間関係で問題を抱えているとき、「あの人は私に対して、こう思っているんだろうな・・・」と想像することがありますが、多くの場合はネガティブにしか結論を出せません。
そんなときは悩んでも時間の無駄です。そこで私は「直接相手と話をしてみる」ことを推奨しています。
著アラン・R・コーエン氏の影響力の法則―現代組織を生き抜くバイブルにも記されている通り、対人関係における問題解決のもっと優れた方法は「直接相手と話す」ことです。なぜなら実際に会話をするときは、ネガティブなイメージをすることなく、事実に基づいて判断できるからです。
終わりに
本記事で何が言いたいかというと、問題を解決するなら直接向き合うのが1番ということです。イメージを膨らませても、ネガティブな意見に偏ることが多い。
話を戻しますが、今回の場合、キュウリに対しても「直接話をしてみた」ようなものですよね。(擬人法)バイアスをなくして事実をもとに判断してみると、意外な結果が待っていることもしばしばあります。そう思える簡単な方法として、あなたにとって大嫌いなアイツ(食べ物)とぜひコンタクトをとってみてはいかがでしょうか。
【大学生の選択肢】「ヤるか、ヤらないか」じゃなくて「ヤるか、すぐヤるか」
どうも、ナオキケーこと北山直樹(@naokikei41)です。
最近、休学して海外インターンをしているからか、大学の友人から相談されることが多々ありまして。その相談内容の大体は、「将来について」です。そんなとき私から言えることは、決まっているようなものです。
それは「やるか、やらないか」ではなく「やるか、すぐやるか」だということです。
今回はこの持論を掘り下げようと思います。
迷ったら、本も「買う」ハンバーガーも「食べる」
まず、ひとこと言っておきたいのは、大学生は迷ったときに考えすぎです。正しくは、悩みすぎと言うべきでしょうか。考える力のない大学生が悩んでも、正しい結論にたどり着くとは限りませんし、なにより時間の無駄です。
例えば、本を買うか迷ったとします。たいていの大学生は、本を買うか考えますが、考える力がないので、その本の価値を適切に判断できません。結果として時間を浪費した上で、購入を断念します。皆さんにもこのような経験はなかったでしょうか?
考えた上で適切な判断ができるのは、”経験”と”考える力”を兼ね備えた人のみです。そのため考える力がない大学生は、迷ったら考えずに行動を起こすのが吉です。
この論理を踏まえた上で、将来について考えてみましょう。将来について、適切な判断をできる人は、どれくらいいるのでしょうか。第一に友人に相談している時点で、怪しいところです。そんなときは悩む前に、まず行動してみる。前に進まないのが一番もったいない。
とは言ってもいきなりそんな風には、なれません。そのために、「悩んだときに、まずは行動を起こすこと」を習慣化することを推奨します。前述の場合でも、本は迷ったらまず買う。服も買う。ハンバーガーも迷ったら考える暇なく、食べる。
新たにやることは、今までの何かを捨てること
もう少し、話を大きくしてみましょう。大学生の悩みごとは、休学して自分のしたいことをすべきか(留学、海外インターン、世界一周等)が多いです。多くの方は「する」という方向で決断できないんですね。なぜなら新たに何かをすることは、今までの何かを捨てることだからです。
1日は24時間しかありません。その中でやることはルーティン化してきます。そのルーティンを壊すのは怖い。それがルーティンたる所以です。
しかしそのままだと、いつまでたっても新たにステージに行くことができません。大学生は、失うものはないと思って良い。悩んでも次のステージ(前)に進めないのなら、脳を使わずに勢いで決定する方が得策だと私は考えます。
結果としてやった後に後悔しても、その後悔をもとに改善することができる。その時点で前には進めていますからね。
「やるか、やらないか」ではなく、「やるか、すぐやるか」
つまるところ、「大学生にやらないの選択肢は必要ない」のかもしれません。やった後悔を多く得た人ほど、改善する機会を多く得ているので成長できる。そうなれば、「やるか、やらないか」なんて次元の話ではなく、求められている答えは「やるか、すぐやるか」にあるのです。
【再スタート】自戒の念を込めて。 「習慣化するためには、どうすれば良いのか」を考える
どうもナオキケーです(@naokikei41)
お久しぶりです。
毎日ブログを書く!と決めてから意識的にブログを執筆するようにしていました。が、継続することはできませんでした。(本記事は最後に投稿してから、42日ぶりのものとなります。)
どうしてできなかったのか?を考えるとともに、「どうすれば習慣化できるのか」について考えてみようと思います。
なぜ習慣化できなかったのか?
結論から言うと、ブログ記事を執筆することが楽しくなくなったからです。
そもそもなんですが、ブログをする理由は2つありました。1つ目は、ブログがアウトプットの場として有効だからです。というのも、私はインプットした情報を知識として蓄積していくには、アウトプットをして理解を深める必要があると考えています。
何かを定着させるには「実践しないと、身につかない」ものです。野球でいえば、「素振りをするだけではなく試合に出る」ことであり、英語学習でいえば「単語や文法を覚えるだけではなく、長文読解や多読をする」ことと同等です。
2つ目は、場数を踏みたかったからです。現在、サウスピークのインターンとして留学体験談を中心に執筆活動をしていますが、やはり数に勝る経験はない。サウスピークで記事を投稿することが本番だとすれば、ブログが練習でも良い。仕事のパフォーマンスを上げるためにブログを利用しようと思いました。
そんなしっかりとした動機をもとにブログを始め、”毎日投稿”に関しては、PDCAサイクルを多く回せますし、日頃から考える機会が多くなると思い挑戦していました。
ですが、ブログを毎日投稿していた頃はどうだったでしょうか?最終的には、”締め切りに追われるライター”になっていました。本来は上記の2点を目的として始めたのに、「毎日投稿すること」が目的になっていたんです。
「毎日投稿する」ことは手段のはずなのに、それが目的になる。そうです。手段の目的化です。手段の目的化が発生すると、強い動機すら忘れてしまい、疑問が生まれ、楽しさが消えてしまいます。
つまり今回のケースでは、しっかり本来の目的を踏み違えずに入れば、毎日投稿が続いたのかもしれません。
習慣化するために必要なコト
正直なところ、本来の目的からすれば毎日投稿する必要はなかったのかもしれないのです。
※断っておくと、毎日投稿すること自体を否定する気は全くありません
毎日投稿が足かせとなり、最後にはブログ自体をストップさせてしまった。これって本末転倒ですよね。
習慣化するために大事なことは、「無理をしない」ことです。
例えば、皆さんが習慣化できていることは、すごい簡単なことばかりだと思います。歯磨きは、近くに歯ブラシと歯磨き粉があるからするわけであり、近くになければ、必ずしもするとは限りません。心理的にハードルが高いものは、やはり習慣化しにくかったです。
今回の事例で考えてみると、毎日投稿するのではなく、「疲れたときには休めばよかった」です。毎週1本投稿することから次第に数を増やしていき、最終的な目標として毎日投稿にするべきでした。
また最近実行して効果的だと感じるものは、自宅以外の作業場所を新たに作ることです。
この方法は金川顕教さんの「すごい効率化」にも書かれているのですが、くつろぐ場である自宅は作業をするものではないと。カフェであったり、図書館であったり、集中できる環境を新たに創作し、毎日同じ時間に作業することでルーティン化できるのです。
実際に私はこのブログを近くの日本料理屋で執筆しています。朝8時から同じ席で同じ朝メニューを注文することで、作業も自然と日常化するのでオススメです。
終わりに
これからブログを再開させますが、あえて宣言しておきます。
「ブログを毎日公開しない!!」
繰り返しにはなりますが、本来の目的は、アウトプットソースの確保です。そのため毎日更新することへの重圧が原因で、ブログを更新しなくなるのは是が非でも避けますね。
そういえばVALU騒動のヒカルと同じ事務所、禁断ボーイズというグループも同じように「毎日投稿する意義」で揉めていたみたいです。手段の目的化は怖い。気長にブログと付き合っていこうと思います。