頭サビ9割

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〜自分と向き合う時間〜

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みんなに好かれようとして、みんなに嫌われる。 #11

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帰りの電車で、偶然、社会人になった知り合いの女性と出会った。「知り合い」といっても、ほとんど話したことはない。だけど、満員電車のせいで、2人の距離は近くなる。話をしないのも変だから、いろんな話をした。

こういうとき、話題はだいたい就職活動になる、彼女から質問された。「そもそも、就職はするの?」というところから。僕は「します!」と答え、就職活動の経緯を話し始めた。

そのなかで、自己分析をした結果「人生を懸けて成し遂げたい”志”が見つかった」と伝えたとき、意外な反応をされた記憶がある。

「そういった”志”を持ってしまうと、自分の可能性を狭めてしまわない?」

というのも、”志”のような目標を持てば、その目標を達成するためにコミットしてしまう。他のことに挑戦しなくなってしまい、結果的に可能性を狭めるだろう。

おもしろい発想。志を持って、実現するために時間を割く。すると「ムダなこと」をしなくなるかもしれない。言い換えれば、本来「志を持ってなければ、していたかもしれない」コトをしなくなるかもしれない。

たしかにそうだ。だからこそ、考えてみると、”志”は「時間を割いてもいいと思えること」じゃなきゃ。人生を懸けてまで「してもいいな」と思える必要がある。

では。そこまでの”志”は、どうやったら見つけられるだろう。その答えは「自分の心の中にしかない」と思う。今までの人生、物心ついたときから今日まで、できごとベースで振り返る。そうすると、自分が「やりがい」を感じことは、なんなのか。わかる気がする。

そうなれば、そのやりがいを再現できるような「職種」で働く。それは、すると「働きがい」になる。そうやって働き続ければ、どうなるか。「生きがい」を感じるようになる。そんな人生は、結果、人生を懸けてまでする「意味」に溢れる。

ーーー

「たとえ、可能性を狭めることになっても、いいんだ」と胸張って言えるくらいの”志”をもつ。感覚は、マーケティングも同じじゃないかな。同じ商品でも、ターゲット顧客をしぼって広告をうつのと、うたないのでは全然ちがうように。たしかに、すべての人に響く可能性は残したいけど、しぼったほうが、価値が出る。

「みんなに好かれようとして、みんなに嫌われる。」

人生も、いろんなことをしようすると、なにもできないまま終わったりして。コワ。