頭サビ9割

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〜自分と向き合う時間〜

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アバンギャルドとミジンコの世界 #122

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人と話が合わないひと。
「あたしはこう思う」
という意見を伝えるときに、みんなと違った。
そんなときに”仲間外れ”にされないため
必要なものは、論理である。

というのも、客観的事実に基づけば
「ただ感情に任せるより伝わりやすい」
という経験則に基づいて思った。

ひとと違う考えを”発する”以上
「意識しなければならないこと」は多々ある。
先ほどの「論理」がなければ
「こいつ、またなんか言ってるよ」
と思われる。ただの”的外れな意見”
として処理される。
そんなのイヤだろう。

それに、いつも自分の考えが
顔に出ているようじゃあ、
まわりに自分を受け入れてもらうのは
むつかしいよな。

「ここは、ひとの話を聞いた
(フリをした)ほうがいい」
というようなマナーだってある。

だからこそ。
変わっているひとの
「エチケット」として、
論理だったり、一般常識やマナー
はあって損することがない。
自分のためにも。

こんなことを言えば、
「変わってるから、理解されようなんて思っていない」
とか言い出す、”変わってるひと”がいる。
僕からすれば、そんなヤツ・・・
ミジンコみたいな世界で生きてるの?
と言いたくなる。

岡本太郎忌野清志郎のような
アバンギャルドなひとたちも、
意外とそういったことができる。
それは、エッセイを読めば
すぐに分かるよ。
相当できるんだってねえ。

・受け入れられる変なひと
・受け入れられない変なひと

この両者は大きく違う。
もし社会で認められたいと思うなら、
受け入れられるよう
「論理性」を高めておくべきだ。
そしてマナーとして
「人間臭いやりとり」が、できるようになろう。

変わっているのは、特別だ。
社会を変えていける数少ないひと。
その使命を感じたなら、
「理解されようなんて思っていない」
なんていう
ミジンコの世界からの発言、やめようよ。
「はあ、そうですねえ」
「たしかに、考えてみれば」
といった、ことばを返す。
あなたにできるかな。

じゃあ「変である自分」は
どうやって表現すればいい?
という話になるが、
あたしが思うに、
瞬間的に、爆発させればいいのだ。
ふだんから「変わっている」というより、
ココぞという場面で。
そんなふうにすれば、
物事のオトシマエはつく。

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。
変わっているって、なんだよ。