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〜自分と向き合う時間〜

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気持ちよくなるための「承認欲求」 #419

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そもそも、どのようにして承認欲求を満たすのでしょうか。そのひとつに「期待に応えること」があるのだと感じています。というのも様々なかかわり合いの中で、”存在”に価値を発揮すれば、周りのひとはそのひとを認めざる得ません。この「認める」というのは必ずしもポジティブな意味でなくても、「認めたくないけど、認めざる得ない」というネガティブな意味合いも含みます。

ぼくは仕事というのには、承認欲求を満たす機会が溢れていると思いました。「満たすこと」が簡単なわけではありません。ただ「機会」としてたくさんある、ということです。たとえば営業の成績だと、毎日1番、2番と順位が出るわけじゃないですか。明らかに期待に応えているかどうか、というが目に見えますし、期待された成果を出せば周りが褒めてくれるのです。

そうして一度満たすことができると、それが凄く気持ちが良いことに気づきます。しかし次第に、前の量では満足できなくなるのです。すると「もう少し、もう少し」と満たすために必死になる。ただ、実はその過程で疲れてしまいます。承認欲求というのはドラッグのようなものです。だから求めすぎると辛くなる、というのが本音かもしれません。

しかし承認欲求は、だれにでもあると思います。当然の欲求なんです。それ故に否定して「なくす」ということが難しい。逆に否定して「なくす」ことができたとしても、その代わりに自分を満たしてくれるものが、なかなか見つかりません。いいや、むかしは「承認欲求」がなかったからこそ、自分たちを気持ちよくするために「承認欲求」という概念を認めたんだと思います。

こうして「承認欲求」と、文字に起こせば体に馴染む感じがするのに、おしゃべりの中に出ると違和感を覚えるのは、わたしだけでしょうか。

 

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。