頭サビ9割

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〜自分と向き合う時間〜

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好きというモチベーション #37

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「食堂の魅力」というテーマで、
このブログに投稿したい「日記のようなもの」がある。
これは文字通り、
久しく行ってなかった食堂に訪れて感じた
「食堂の魅力」について書いている。

でも、結局オチのつけかたが分からず、
「うーん」と頭を抱え込んだ。
ふだんは30分くらいで書ける。
今回、パソコンとにらめっこして
1時間半が経過した。
さすがに「書けない」と思い、下書き保存の状態にしている。

***

どうして書けなかったのか?
という当然のギモンに改めて感じたのは
「好きじゃないと、書けない」ということだった。

文章に限っていえば、構成というのは
「起承転結」または「結論→理由→具体例→再論」
というのがお決まり。
この最後
「結論」と「再論」の筆を走らせるか否か、というのは
僕の場合、テーマに対する愛でしかない。

というのも文章は、
始め方よりも「終わらせ方」のほうが、むつかしい。
これは文章に限った話ではなくて、
人付き合いでも同じだね。

僕はそんな文章の「終わらせ方」が、いまだに苦手だ。
そのため、終わらせるには「愛」のままに
好きなよう、言葉を振るうしかない。
だから愛がないと、僕は文章を完成できないのであった。

***

得てして、フィリピンの語学学校でインターンをしていたとき、
上司からこんなことを言われたことがある。
「インタビューは好きなひとにしたほうがいいよ」
これはインターンの業務であった
留学中の生徒に対する「インタビュー記事」を
執筆するにあたってのアドバイスだった。
当時はその意味が全く分からなかったけど、
今になって分かる。

好きなひとにインタビューした文章は、筆が走る。
なぜなら「書き手」としての自分がパフォーマンスを発揮するとき、
好きというモチベーションがあれば、そのぶん力を発揮できるからである。
文章の「終わらせ方」には、その傾向が如実に出る。
好きというモチベーションで、書けているのだ。
ほら。
やっぱり「好きじゃないと、書けない」と思いました。

もちろん文章にかかわらず、
好きなひとがいる仕事なら頑張れたり、
好きなコトのためだったら、多少辛いことでも踏ん張れるでしょう。
マジメな顔よりも、ニヤニヤした顔になってしまうような、
そんな状態が「好き」だと思うんです。
そういう「好き」をモチベーションであると再認識できた1日でした。

 

今日も「頭サビ9割」にきてくださって、ありがとうございました。
この「日記のようなもの」は、
ニヤニヤしながら書けたので30分で書けました。
この感覚って、僕だけじゃないですよね?