頭サビ9割

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〜自分と向き合う時間〜

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ミャンマーの夜行バスにて #105

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ミャンマーバガンから、
首都であるヤンゴンに帰るため
夜行バスに乗った。
一緒に旅をしている友達とふたり。
それ以外にもたくさんの乗客たちがいるけど、
ほとんどがミャンマー人だ。

バスに乗り込むと、
快適さは日本と変わらないほど
設備が良くて驚く。
そのかいもあり、
「好きな音楽」を聴けば
まるで睡眠導入剤を服用したように
スッと眠りに落ちる。

ぐっすり、ぐっすり。
夢すらみないほどに眠る。
そのような至福の時間が
“消えた“のは、
出発して3時間ほど経ったときだろうか。

僕は乗組員らしき
ミャンマー 人3人に囲まれていた。
現地のことばで何を言っているか
よく分からないけれど、とにかく
「降りろ」と言いたいらしい。
彼らの他には、乗客が一人もいなかった。
友だちも。
状況を知りたいけど
英語で話をしても通じないので、
僕はとりあえず友だちと合流できるように、と
バスを離れた。

さまっても、さまよっても、
友だちは見当たらない。
ことばが通じない国で、よく分からない場所に、
たったひとり。
すごく怖かった。
そんな僕を見て
ミャンマー人が話しかけてくれるものの、
僕はミャンマーのことばが理解できなくて、
彼らは英語が分からない。
すごく辛かった。

「言葉が通じない」ということが、
僕のせいではないかと思う。
自分さえ「ミャンマーのことば」を理解できれば、
話を聞いてもらえるのに。
今ここがどこで、どうして外に出されて、
どれだけ「ここ」にいなければならないのか。
そして僕の「友だち」はどこに消えた?

フィリピンに留学したときに
英語ができなくて、
理解しようとする講師に
悲しい顔をさせてしまった記憶。

インターンをしたときに
論理的な日本語ができなくて、
「頼むから日本語話してよ」と
上司に怒られてしまった記憶。

「自分のことばが通じない」という
劣等感のフラッシュバックが起きた。

***
僕は今まで「自分ができない人間だ」
という劣等感に苛まれ、
その苦しみを乗り越えることで自信をつけてきた。
だからこそ、劣等感はチャンス。
「自分はできない」と苦しめばいい。
そして克服すればいい。そう思っていた。

しかし強烈な劣等感を
久しぶりに抱き、向き合い思った。
「劣等感を乗り越えた先に、自分に何ができるのか」
を考えてもいいんじゃないか、ということ。

劣等感は自分との対話である。
例えば「英語ができない苦しみ」が
劣等感として現れたときに、
克服したい!と思えて、英語ができるようになった。
これはあくまで
自分の中で完結するプロセス。
社会人として「社会に貢献するひと」になるのであれば、
「劣等感を克服した自分だからこそ、できることはないのか?」
と考える。
苦労して英語ができるようになった自分だからこそ、
できることはないだろうか。

ひとは「自分が克服したこと」から
「自分がどうなりたいか」というビジョンを発見する、と
聞いたことがある。
もしその話がほんとうであれば、
劣等感を抱く→克服する
というプロセスの先に「ビジョン」があり、
そして自分なりの社会貢献が見えるのかもしれない。

そうであれば、社会人であるなら、
劣等感を早めに克服してしまえばいい。
そして、その先に抱いた感情を味わおう。
きっと、フルーツの果汁のように
スッキリしたものだ。

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございます。
あ、そういえば結局、友だちと合流できました。