頭サビ9割

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〜自分と向き合う時間〜

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ファッションを自己投影する #145

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ちぐはな身体。最近ファッションについて、よく考える。

中学生のときに学ランを着崩して以来、自分の着る服を、どの人よりもチェックするようになった。いつのまにか「服を着ること」と「ファッション」が切り離せなくなり、ファッションであれば、着たくない服も買っていた。

ファッションとは「かっこよくなりたい」、「美しく見せたい」という自己実現を行う上でのヒントとなる。「流行」を意味するファッションは、有識者によって取り決められる。いわばセンスのあるデザイナーが、かっこいいと言っているの”だから”、かっこよくなれるというロジック。このようにして、ファッションを通し自己実現が行える。

この自己実現性に加え、ファッションには社会に対する批判的要素がある。たとえば裏返しにして着てみたり、漂白剤につけて色を抜いてみたり。最近では”オーバーサイズ”という言葉では片付けられないほどのジャケットが「S」サイズとして、売られていたのである。これらは紛れもなく、ファッションとして受け入れられた。

なぜ自己実現性だけでなく、批判的デザインもファッションとして受け入れられるのだろうか。それは自身のクリティカルなアイデアを、衣服を通して顕在化させられるからだと考える。たとえば若者にとっては、身体にぴったりのスーツを着て、画一的な”サラリーマン”として働く人々への絶望感(以前は今ほど、ジャストサイズでスーツを着ることはなかった)といったもの。そのメッセージを表現する意味でのオーバーサイズジャケット、というように受け入れられていく。

ファッションを意識した服を着ることは、「自分がどうなりたいか」や「社会がどうなってほしいか」というのを、自己投影している状態だ。注意点としては、追い続けること。刹那性によって、時代錯誤のメッセージを見出さないよう、内省しつつ時代の空気を読み取る必要がある。アンチモードとして生まれたファッションが、モードになるくらいなのだから。

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。
久しぶりの京都は、どこよりも日本だった。