頭サビ9割

頭サビ9割

〜自分と向き合う時間〜

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MY ROLE #157

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小学校の周りをランニングしていると、
警備員にいささか怪しい目で
見られている気がしてしまう。
むかしは僕が来るたびにも
優しい笑顔で迎えてくれてたのに、
と思うと寂しいのだが、
考えれば卒業から10年近く
経っているから仕方ない。

小学生の頃を思い出せば、
僕はいつも先生に
怒られないようにしていた。
「怒られる」という行為が
恥ずかしくて、情けなく、
避けるべきだと思っていたから。
そう考えるのは
決して僕だけではなく、
友だちだって
あのときはそうだったと思う。

だとすると小学生のときに、
求められていた役割は
「社会のルールに適応すること」
のただ1つなのかもしれない。

一方、大学生になり
「社会のルールに適応する」
という役割を求められなくなった。
それもそのはず、
役割というのは変わっていく。
社会のルールに適応でき
大学生になった上で、
求められる役割はなんだというのか。

大学生という枠組み、
大学という組織内において、
決まった役割は存在しない。
大学内または
他の組織内において、
自力で役割を見出すのだ。

しかし役割を見出すのはむつかしい。
今までに担ったことがあるなら、
そこまでむつかしくはないが、
新しい役割を自ら名乗り出るのは、
勇気がいるのである。

「自分よりもっとふさわしいひとが・・・」
「自分はほかの役割のほうが・・・」

そう思ってしまう。
だからこそ、だ。
自分の役割が決まっているのは、
幸せなことだと言える。

「こういうことを求められている」
と分かり、全うするだけで
自分なりの納得感を
得ることができる。
そのうえ組織内の所属感を、
満たすことにもつながる。

僕はベンチャー企業
インターンをしていたが、
様々な役割を
買って出ていたひとに
賛辞を送りたい。
無論それらの役割は、
ベンチャーの内外に及ぶ要因から生まれる
不確実性に対応するためで、
そのひとにとって
新たな役割だったのだから。

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。
小学校にある楠木は、今も立派だ。