頭サビ9割

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〜自分と向き合う時間〜

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理屈っぽい #174

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先日、同じゼミのメンバーで
飲み会があった。
出会って一年が過ぎ、
第一印象を聞きあう。
「自分ってどんなイメージやった?」
僕はこの類の質問をして、
良かった記憶がない。

結局のところ、
多くのひとが
「理屈っぽいひと」
って答えてくれた。

実のところ理屈っぽい感じは、
今もあまり変わらない。
しかし一年前の自分と
大きく変わったのは、
論理だけじゃなく
感情も重視することだ。

***

2年前にインターンをしていた頃は、
上司から「論理性の欠如」を指摘され、
改善しようと必死。
その結果、合理的なものが正義で、
非合理的なものが圧倒的な悪だとみなし、
排他的になっていく。

つまるところ
「論理があれば伝わる」
そう思っていた。
しかしその反面、
周りからひとが
いなくなっていったのを
覚えている。

インターンを終えてからも、
ゼミのメンバーが
非合理的だと感じてからは、
仲良くなろうと思えない。
そして周りとの距離は
広がるばかりだった。

***

ただ就職活動を通し
”人間は限定合理的な「感情人」である”
と学び、関わり合いの中で
感情をふまえるべきだと知る。
文章にすると、かなり当然に感じるが
僕にとって人生が変わるような
発見だった。

理屈っぽくなるのは
できる限り論理的な話を
しようとするからで、
それは自分の考えを
伝えたいからこそ。
自分なりの”マナーのようなもの”だ。

その上で、前のように
「論理があれば伝わる」
とは思わなくなり、あくまで
「伝えるためには論理が必要だ」
というふうに、考えるようになった。

合理性ばかりを追求すると、
だんだん人が均一化されていく。
そして自然な人間らしさが失われる。
人びとが感情も大切にするのは、
人間らしく生きたいからだよね。

多くのひとが
僕の第一印象を
「理屈っぽいひと」
って答えてくれたとき、
納得した。
けれど今はその印象が
少しは違っていることを願っている。

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。
意味ないことを言おう、ダレン・シャン