頭サビ9割

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〜自分と向き合う時間〜

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書きたいことがないのに、書く必要がある人へ #204

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日記を書いていると「書きたくないなあ」と思う瞬間があります。

そう思っても、書かなければならない。ある種、責任感で続けてしまうのが、日記です。

どうしてか今日、日記を書き続ける上で「等身大の自分を守ること」が大切だと気づきました。特に「書くことがない」ときこそ。今日はそんなことを、伝えたいです。

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僕の場合ですが「書くことがない」ときほど、自分のコトバで書けなくなります。他人のコトバを借りて、書こうとするんです。というと本を読んだり、映画を見たりして、あらゆるメッセージから着想を得ます。そして「書きたいこと」を探すわけですね。

そうして、なにかのメッセージからヒントを得たときは、「これが書きたかったこと?」と思いますし、それで実際に書いているときは、「これが書きたかったこと!!」と思っています。

でも改めて日記を見てみると、無理して「書きたいこと」にしているのに気づくんです。

なにかを「書きたい」場合、想いが文章に現れて当然。一方で「書きたいこと」がないと、想いの乗らない文章になります。

想いが乗らなかったことを、そのときは誤魔化せるかもしれません。でも日記を続けるなかで「どこか満足できなかった」という嫌な想いがこっそりと、積もっていくのです。

日記をやめてしまうのは、本質的に嫌になったからだと思います。思うに、想いを乗せて「書きたいこと」を書けない限り、続きません。

そのためには、等身大の自分を守ることが大切です。これは、自分のコトバで書くためのキーワード。無理して、背伸びしたことを書かなくてもいい。背伸びしたとしても、ベースを自分の”地”から、外してはいけないのです。

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最近「ブログ」というかたちで、ウェブに「日記のようなもの」を書く人をちらほら見ます。特にnoteというサービスが配信されるようになって、より一層、書く人が増えました。

そもそも「これを伝えたい」とか「これを残したい」とか、そう思って始めたはず。しかし「書きたいことがないのに、書かなければならない」ことに対峙する瞬間は、ブログでさえ訪れるのです。

そんなときにも等身大の自分でさえいれば、クオリティなど気にせず、楽しく書き続けられます。なぜなら「書きたい」ことを書けているからです。当たり前のようですが、それがいいのです。

「書くことがない」ときほど、等身大の自分を大切に。

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。