頭サビ9割

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〜自分と向き合う時間〜

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日常に「ささいな感覚」を #238

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車を運転するようになって、ささいな感覚が磨かれたと思う。ささいな感覚というのは、心身ともに微妙な動きを感じとれること。実際に運転するまで、車を走らせることが、アクセルペダルひとつで行われているなんて想像もしなかった。50キロを保つために、ペダルを微調整していることも知らなかった。押しすぎると、60キロになる。押しが弱いと、50キロに届かない。そんなことが「ある」ってことを、友だちの車に乗っても、だれも教えてくれなかった。

ささいな感覚が大事であること、というのは車だけではない。ぼくは、そう悟ったのだけど、そうだろう。日常に活かせないものか、と問うてみれば、いろんな機会で活かせそうだ。たとえば、人間関係なんて、ささいな感覚を活かす絶好の機会じゃないか。脆く壊れやすい、ささいなことで、人間関係にズレが生まれる。だからズレを生ませない、予防薬のような役割を果たす、ささいな感覚。それだけじゃなく、ささいな気配りが「優しさ」として伝われば、人間関係はより良くなる。差し入れとして、ホットの缶コーヒーのような、ささいな感覚。

自分でもうれしくなるのは、そんな感覚が自然になってきたことだ。停車するため、少しずつブレーキをかけるみたく、ドアを閉めるときは、ゆっくりと、音を立てずに。イヤホンから音が漏れてないかとか、ひとと話すときの表情とか、ささいなことだけど、前より意識が回るようになった気がしている。「ささいな」というのは、けっして「ちっぽけな」ということではないんだよ、と心に収めておきたい。

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。