頭サビ9割

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〜自分と向き合う時間〜

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対象が自分に近すぎると、一歩が出ない #253

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・〈デザイナーだから新しいポルシェを考えなければならないのだが、それは同時に古いポルシェのデザインを壊すことを意味する。僕にはそれが苦痛だった。デザイナーとして新しいものを作ることに抵抗感を覚えたのは初めてで、僕はその時「対象が自分に近すぎると作れない」ということに気がついた。)

世界3大スポーツカーと言われる、コルベット、ポルシェ、フェラーリのすべてをデザインした日本人がいる。奥山 清行さんというカーデザイナーだ。彼はずっと憧れていたポルシェを、自分がデザインする立場になったときに迷ったらしい。自分の「こうしたい」という想いで、ポルシェを変えていいものか。

程度は違えど、僕たちだって同じようなことがある。たとえばアドバイスで「こうしたら?」と誰かにつたえるとき、その相手が誰かというので、自分の言葉への責任が変わる。「髪切ったら?」という些細なことでも、もし相手が自分の子どもあれば、変な髪型になって「いじめたられたら、どうしようか」と一考するかもしれない。「〜するのを、やめたら?」という決断を迫るアドバイスなら、その後に待ち受ける未来を、相手次第では真剣に考えるし、考えないこともある。それは「自分との関係」の差によって決まる。

奥山さんにとってのポルシェのように、対象が自分と近いほど、変化を与えるのが怖くなる。それは"自分を含めて"対象をシリアスに捉えるからだ。ときに、一歩が出ないことだってある。その逆で「自分との関係が遠い」と思えば、ぞんざいな自分になる。だから、適当なことをぬかす。思えば、ぼくがアドバイスをするとき、9割近くが「ぞんざいな自分」なのかもしれないと、ふと頭によぎった。ジブンゴトじゃないから、関係が遠くなる。「変化を与える」自体の責任を踏まえれば、もっと真剣になるべきなのになあ。

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。