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【たまに文章術】エッセイかレポートのどちらか明らめる。 #319

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・社会人になってから、文章を書くことが増えた。リモートワークだし、上司や同期と連絡を取る手段は、チャットかビデオ通話になる。ビデオ通話だと要件を手っ取り早く伝えられ、ミスコミュニケーションしにくい。しかし事あるごとに電話をするのもなあ・・・と躊躇する自分がいて、チャットをする場合がほとんどだ。チャット、つまり文章でのやりとりをするなかで、仕事では「レポート」することを求められている。

レポートとは、極めて論理的な文章でなければならない。日本語にすると「報告」なのだから、誤った報告であってはいけないのだ。そのため相手の立場になって、正しく伝わるよう論理を積み重ねることが大切になる。一方でブログやツイッターなど、いままでの僕は「エッセイ」を書くことが多かった。エッセイはわりかし感情的な文章であり、最低限の論理の上に「想い」を表現するものだ。正しさより「その人らしさ」を伝えることが大切なんじゃないか。

文章を書くときは、レポートかエッセイのどちらを書くのかを明らかにする。例えば、ある文章を書く背景に「報告する必要性」があるのなら、レポートであってエッセイではない。僕はレポートすべきところで「自分の考え」をよく誤って混在させてしまう。知らぬ間に、自分の想いを伝えようとしているのだ。しかしレポートは事実のみで構成されるべきで、推測や感想があることによって伝わりづらくなる。

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このブログのハコ書き(主眼と骨子)。そうとう粒度が低い(笑)

一方でエッセイを書くにあたっては、自分の考えのない文章は寂しいものになる。そのうえで気をつけるべきは「ハコ書き」という、文章を書く前に構成を見える化する作業においてだ。(おそらく、すべての人が意識、無意識的にしている)僕はあらかじめキッチリとした構成にしすぎると「自分の考え」が消えていくと思う。それは筋道の通ったキッチリとした構成で、論理的なつながりが増すほど、感性的な表現が蒸発していく感じなのだ。

それにエッセイで表す感情や考えは、実際に書くうちにどんどんと変わっていく(追加されていく)ので、前もって構成しすぎずに、つらつらと書くほうがいい。ただ人によっては、すでに感情の言語化ができていて、ハコ書きをキッチリとしたうえで「あとは書くだけ」がやりやすいかもしれない。どちらにせよ、エッセイでは自分の考えを「ふんだんに表現しよう」ということである。

文章を書くときは、レポートかエッセイのどちらを書くのかを明らかにしよう。その意識を強めるだけで文章の目的がはっきりし、意図したメッセージを発信できると思った。

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。