頭サビ9割

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〜自分と向き合う時間〜

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コンプレックスとの付き合い方「笑いと自由」 #330

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・少し前に、ここに「笑いのパワー」について書いた。イヤなことを「笑い」を通して昇華させること、それができるのも笑いのパワーである。

参考:『イヤなことを笑いに変える力。 #320

4月に働きはじめた会社の上司のひとりに、オススメの本を教えてもらった。緊急事態宣言が発令されるなかの、ゴールデンウィーク。当然、暇である。この余りある時間を生かそうと思い、オススメして頂いた本を手にとってみた。そこには、テーマの一つに「笑いと自由」というものがあって、見たとたん、起き抜けだった身体に興味が湧いてくる。

 私たちは私たちの人生に縛りつけられている。私たちは自分の人生をイチから選ぶことができない。なにかとても理不尽ないきさつによって、ある特定の時代の特定の場所に生まれ、さまざまな「不充分さ」をかかえたこの私というものに閉じこめられて、一生を生きるしかない。私たちが生きるしかないこの人生というのものは、しばしばとても辛いものである。

 なにかに傷ついたとき、なにかに傷つけられたとき、人はまず、黙り込む。ぐっと我慢をして、耐える。あるいは、反射的に怒る。怒鳴ったり、言い返したり、睨んだりする。時には手が出てしまうこともある。

 しかし、笑うこともできる。

引用:断片的なものの社会学

この文章を見たとき、ぼくはグッと胸が熱くなった。そのとおりだ、ぼくたちの人生というのは、変えられないネガティブな要素が必ずある。容姿であるとか、親からの教育、運動神経、在日、部落など、ネガティブになりがちなことが、ひとを縛っている。そして、そんなどうしようもないコンプレックスを抱えながら、生きていかねばならない。

とはいえ生活においては、他者からの何気ない一言によってネガティブな想いが強まることがある。例えば、ぼくは田舎出身であることに、どちらかといえばコンプレックスがある。そこに「おーい田舎者!」なんて言われると、傷つくことがあるかもしれないし、苦しむかもしれない。

しかしそんな繰り返しのなかで「折り合い」をつけるために、笑ってしまうこともできる。田舎者であることへの劣等感は、冒頭のように「笑い」として昇華させたっていいのだ。必ずしもひとに言わないまでも、自分のなかで、ふとしたときにコンプレックスを笑う。笑ってやりすごすことで、そのコンプレックスによる人生の不自由さから、解放された気分になれる。

そうやって自分を外に向かって走り出させられる、と知っていることが、コンプレックスと付き合う上でかなり助けになるだろう。

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。ああ、素晴らしい本をオススメしてくださる上司がいることが、本当にうれしい。ぼくは以前にもそうして、いい出会いをしたんだよなあ。