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ホアジャオの存在意義(麻婆豆腐編) #335

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・麻婆豆腐について書く。

今日は「無意味性」について書くつもりだった。意味のない時間が、人々にどのような影響を与えるのか。そんなことを考え、何枚かの紙に落としたところでパソコンを開いた。そのとたん開けていた窓から家中に、クラクラするほど美味しそうな匂いが漂ってきた。

それは、麻婆豆腐の匂いだった。

ぼくは、麻婆豆腐が好きだ。いいや、意外とみんなも好きだ。あのたまらない香りを嗅いでしまったせいで、居ても立っても居られなくなり…ぼくは「麻婆豆腐」について書こうと思った。

そもそも「麻婆豆腐」は、中国の四川省で発祥した料理である。豆腐とひき肉のなかに、豆板醤と唐辛子、ホアジャオ(花椒)という山椒に似た香辛料、鶏がらスープなどを入れて炒める。日本ではホアジャオが手に入れにくいため「山椒」に取って代わられたり、山椒すら入れずに唐辛子のみのマーボー豆腐が存在する。

ぼくは小さいときからスーパーに売っている「麻婆豆腐の素・甘口」を使ったマーボー豆腐をよく食べていた。しかし今思うと、それは「麻婆豆腐」というより「マーボー豆腐」じゃないだろうか。

どういうことかと言うと、大抵の「麻婆豆腐の素」というのはホアジャオ(または山椒)の存在が薄い。ピリッと舌に突き刺さるような痺れ、グルーン!と飛びついてくる香り、そしてジュワアと広がる旨味は、ホアジャオのよって生まれている。

そんなホアジャオの弱い麻婆豆腐は、パンチが弱すぎるのだ。こう言えるかもしれない、ホアジャオの無い麻婆豆腐は「麻婆豆腐」はないのだ、”マーボー豆腐”でしかないのだと。

この確信に近い考えが生まれたのは、新宿に行ったときだった。新宿にある中華料理屋さんに行ったとき、石焼きでグツグツ(!)、マグマのように湧き立つ麻婆豆腐がやってきた。それは革命的に美味しかった。そして、そこで感じたピリッ、グルーン!、ジュワア……間違いなく、豆腐にはホアジャオの存在は不可欠だった。

ホアジャオの存在意義、それは麻婆豆腐とマーボー豆腐という両者を分けうるのである。もしかすると仕事においても、「こいつがいないと回らない」という存在はホアジャオなのかもしれない。しかし仕事に限っては、ホアジャオとして自身のナレッジやノウハウを溜め込むのではなく、まわりに共有する姿勢が求められるだろう。

ホアジャオを目指しつつ、ホアジャオであれば積極的にホアジャオであることを止める。そんな人間にぼくはなりたい。

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。