頭サビ9割

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〜自分と向き合う時間〜

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「大地を踏みしめること」と承認欲求 #334

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・ふとランニングをしていて、気づいたことがある。東京には、土がむき出しの道路が全くないのだ。ぼくの地元にあったか、と言われると分からない。けれど舗装された歩道はもちろん、公園でさえ柔らかいタイルが貼ってある。走っても走っても、土を踏みしめることなく道は続いていく。だからか、工事の関係で一時的に土がむき出しの道路をみるとうれしい。そして、そんな土路を走れば「大地を踏みしめる」という感覚を強く感じられる。

いっぽうで東南アジアでは、歩道はもちろん車道すら「ありのまま」である。フィリピンやタイは発展していると言われるが、舗装されているところは少ないのが事実だった。(ネパールやカンボジアは中心部から離れると、ほとんど舗装されていなかった)思い出せば道の至るところがヘコんでおり、車に乗る際に手すりのようなグリップを持たずにいられない。車だと揺れる、揺れる……道がガタガタであることに、苛立つこともあったように思う。

とはいえ自分の足で歩けば、しっかりと土の感触を得ることができる。その瞬間というのは、いつも強く自然を感じられる瞬間だったのだ。大地を踏みしめる、という行為の他にも草木の匂いを嗅いだり、海で泳いだりすることも同じで、それらには自分が認められたような充実した感覚があった。もしかすると仕事において成果を残し、上司にほめられるときの「承認欲求」と似ているかもしれない。自然を感じることで、ぼくは地球に存在する「生き物」として認められたような気分になる。

だからといって、街中の道に舗装されたタイルを剥がしてほしい訳ではない。道が舗装されることで道自体の耐久度は増すし、天候の影響も受けにくくなる。そうしてスムーズに移動ができるなど、理に適っていることばかりだ。この緊急事態が収まれば、大地を踏みしめることができる場所を、東京のなかに見つけに行こうっと。

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。