頭サビ9割

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〜自分と向き合う時間〜

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まあがんばれや、新社会人くん。 #345

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・友だちが今日から、働きだしたらしいです。

新型コロナウイルスの影響でずっと自宅待機が続くなか、前日になって働くことが突然決まったとのこと。兵庫県から東京に、親と丁寧な別れもしないまま来たそうでした。そんなことあるんだあ、と驚いていましたが「いきなり状況がガラッと変わる」ということは割とあるみたいです。そういえば、ぼくも春休みにスリランカに行ったとき、翌日のフライトが急に飛ばなくなりました。

「かぞくのくに」という映画があって、それはヤンヨンヒ監督が描いた「帰国事業」で北朝鮮に帰った在日コリアンの男性と、日本に残った家族との25年ぶりの出会いを描いた作品です。その映画では、ひさしぶりに再会した家族の日々が綴れているのですが、ある日男性が家族を前にし「明日、帰るわ」と告げるという理不尽な終り方をします。そこには理由などなく、くに(北朝鮮)からの命令で帰ることになった、という事実しかないのです。

理由なく出来事が起こったり、ものごとが展開したりするのは、強いストレスを与えます。少なからずぼくはそうで、なにかを説明されるときも「理由」や「目的」がないものは拒みたくなるのです。<なぜ、そんなことになるのか。おかしいじゃないか。>というように、総じてそういったことは「理不尽」というかたちで、自身の中で処理されます。しかし最近学んでいるのは、「理不尽」であることも解釈次第で「正当」であると感じられるでのは、ということです。

つまり理由なき「理不尽」なことへの意味付けです。客観的に、みんな「理由なく」その出来事が起こったと言っている。たしかに、そうかもしれない。でも、そんなこと言ったて、どうにもならないことがある。というよりむしろ、自分が前に進み続けるため「あーだ、こーだ」言う時間がもったいない。そういうことを、思うようになりました。たぶん、クライアントワークだと「理不尽」なことがいっぱいあるので、そのストレスに慣れていたいし、ポジティブに捉えられるようにしたいです。

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。なにが言いたいかというと、まあ来週からがんばれや、新社会人くん。