頭サビ9割

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〜自分と向き合う時間〜

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今日も、アイデアは降ってこない #347

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・ある本を読むことがあった。それは『踊る大捜査線』の脚本を書いた君塚良一さんの『裏ドラマ』という本である。この本は2003年に出版され、当時はと言えばテレビドラマが元気だった。そんな時代の脚本家が書いたエッセイを通して、ずっとモヤモヤしていたことが解消される気がした。

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「日記のようなもの」を書くのが、ぼくの日課になりつつある。だから休日であっても、書かないといけない気がしてしまう。とはいえホントのことを言うと、休日に「書きたい」と思うことなんて、ほとんどない。というのも一応、「日記のようなもの」におけるモットーは「学びのアウトプット」だ。学びがないと書けない、という前提において、休日はほとんど学びがなく終わるのだ。

恥ずかしいことに、ぼくは休日だと朝早く起きて、筋トレをしたり読書をしたりする生活が送れずにいる。実際には昼前に起きてシャワーを浴び、掃除をして、プリズンブレイクを見続ける。(プリズンブレイクはシーズン5まであるので、当分この生活が続きそうだ)脳を使う時間は「お昼になに食べるか」くらいだったけど、それも今はほっともっとの「のり弁当」に定まってきているので、学びが生まれる可能性がほぼない。

だからか、ぼくは夜が近づくとワソワし始めるようになった。「日記のようなもの」が書けないんじゃないか、という不安からだ。そこで急いでご飯を済まし、読書をはじめてみる。インプットをして、学びを作ろうとするわけだ。それでも大抵は”腹落ち”するほどの学びが得られず、書けないで困る。そんなことを、東京に来てからの週末に繰り返していた。

どうしたものかと思っていたところに、冒頭で紹介した君塚氏のエッセイが学びを与えた。それは「ぼくは外に出て、いろんなところに目を向けること」が学びを得るうえで役立つ、ということだ。というのも彼はエッセイのほとんどで、困っている。いいアイデアが生まれないのだ。そんなときに、彼は必ずバーに行く。そしてバーのマスターや客のふとした一言がきっかけで、アイデアが生んでいるのだ。

外に出る、ということは予想以上のインプットがあるらしい。外に出れば、イヤなことも、おもしろいことも含めて大量の出来事が起こっている。それらを見て感じられることが、学びになることがある。君塚氏はバーという特定の場所だったけど、そこで起こる色々な出来事から学び、アイデアを生んでいた。「外に出る」というのは建物から出るという意味ではなく、自分の定位置から足を踏み出すことだ。

イデア、ここでは「いい感じの考え」という極めて主観的な定義だけど、アイデアは自分の外に落ちていると思う。それらを足を使って、一つずつ拾っていくんじゃないか。だからアイデアマンというのは「ごく一部の優れた才能を持つひと」ではなく、自分で拾った大量のインプットと、それらを使うちょっとした方法を知っているひとなのだ。

まずは外に出てみる。それがアイデア、ひいては学びを生む。今日も、明日もアイデアは降ってこない。

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。