頭サビ9割

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〜自分と向き合う時間〜

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むつかしく考えた先にある「答え」は素晴らしいという理想 #378

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・答えはいつもシンプルだ。

コロナウイルスが大流行していた頃は、「STAY AT HOME(ステイ アット ホーム)」ということばがスローガンのように使われた。それでも大流行する前は「自宅待機」という取り組みに対して、批判的なひともいたのは事実である。<そんなことを言っても、自宅で仕事なんてできないぜ>「まあ、たしかにそうかもしれない…」そう思った反面、リモートワークをしてみると、なんだかんだどうにかなる。

コロナウイルスに関して言えば、「Q.どう感染拡大を防ぐか?」という問いに対して「A.家にいること」という答えが最も的を得ていた。大勢がうだうだ言ったにしろ、専門家が頭を抱えたにしろ、けっきょくは「家にいること」が効果バツグンだった。今思うと、自宅待機というシンプルなものがベストアンサーだったのには、痛快な感覚すら覚えられる。

ひとというのは、問題をむつかしくする習性があると思う。「どうすればいいか?」という問題のたいていが、シンプルに考えれば出せる「答え」とセットにも関わらずだ。たとえば「どうやったらテレアポで成果を残せるか?」という問いに対しては、まずは「たくさん架けようぜ」という答えが出る。しかしひとというのは、「そうは言ってもなあ…」と問いをむつかしく捉えようとしてしまう。

むつかしく考えた先にある「答え」が素晴らしいのなら、むつかしく考えるのは良いことだ。しかしいつも「答え」はシンプルであり、結局のところ初めに戻ることばかりじゃないか。巷では、答えを出さずに立ち止まることを「悩む」と言う。悩みたいのなら悩めばいいが、悩んだとて答えはいつもシンプルである。その事実を頭に抱えたうえでのほうが、合理的に悩めると思った。

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。