頭サビ9割

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〜自分と向き合う時間〜

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人としての器、人を許すといういうこと #379

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・世の中にあるマジカルワードのひとつに「器(うつわ)」がある。

どんなに相手が腹を立てていても、「器がちっちゃいなあ」と思ったとたん惨めに思えてくる。たとえ、自分に非があったとしてもだ。逆の立場だとして、相手にどれだけ腹を立てていても「おまえ、器ちっちゃ」と言われてしまったら、それ以上言おうにも言えない。

人としての「器が小さい」ということには、なんだか人格が低いという意味を感じてしまう。よく考えると、人格否定というのが”決してしてはいけないこと”だとするなら、「器を小さい」と言うことも控えておいたほうがいい。しかし、ときたま他者の行動を見て、「器が小さい」と思わざるを得ないこともあるものだ。

どうすれば、器は大きくなるのだろう。そんなことを考えてみたい。

全く論理的ではないが、人としての器は「人を許すこと」を通して大きくなるのではないか。簡単に言うと、嫌なことをされたときに、なんでも怒るのをやめる。その行為、ひいては「行為をしたひと」を許してみる。はたから見ると、「アイツ、器が大きいなあ」となるかもしれない。

人を許すことを繰り返すうちに、そもそも許す行為すら必要にないほど、器が大きくなる。まわりからすれば怒っても仕方がないようなことを、全く怒らない。「え、なんで怒らないの?アイツ、器大きすぎなっ!」となるかもしれないじゃないか。いや、きっとそうなる。

人としての器、人を許すといういうことを通して、ビッグにしたいぜ。

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。