頭サビ9割

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〜自分と向き合う時間〜

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アホになれんやつがほんまのアホ #384

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・アホ(阿保)とバカ(馬鹿)。

前者は主に関西で使われ、後者は関東でなじみが深い。逆に常用されない地域で使うと、侮辱されたと相手は思う。たとえば関西人に「きみ、バカかよ」と言おうものなら喧嘩になる。ぼくは兵庫県生まれだけど、「バカ」と言われたことは滅多になかったし、言われたときには腹が立った。そんなものだ。

関東に住んでいて悩ましいのは、そんな地域性によって言葉のニュアンスが変わってしまうことだ。つまり「アホ(阿保)」と関東出身のひとに言っていいものか、という不安。しかしわかってほしいのは「おまえ、アホか」とぼくがいうとき、相手を咎めるつもりはない。むしろ愛、褒めているときだってある。

褒め言葉としての「アホ」が、関西人には存在することを知ってほしい。というのも雰囲気が悪いときに、あえてアホ役を演じることがある。そのおかげで、パッと雰囲気が明るくなる。それをみて別のだれかが「アホやなあ」と、たしなめるふりをする。しかしその「アホ」はほんとうの”阿保”を意味しないのだ。

かつては他人を喜ばせるために、進んでアホになるひとたちが数多くいたらしい。そのひとは場に応じて求められた「アホ」の顔を持ち合わせているわけで、本質的には頭が良いと思う。もしかすると、このニュアンスや感覚は関東の「バカ(馬鹿)」でも同じことが言えるかも知れない。

関西の「アホ」も関東の「バカ」も同じように言えることは、まわりにアホやバカを演じられるひとが少なくなった、ということだ。「社会人になったから」というわけではなく、単純に「責められること」や「責任を負わされること」のリスクを回避しようとしている。

上方では「アホになれんやつがほんまのアホ」なんて言葉があって、ぼくもそう思っている。人間関係を円滑にするために、必要に応じたアホやバカになれるのは、コミュニケーションスキルですらあるんじゃないか。「アホやなあ」という言葉で、互いにリスペクトしあえる関係のひとが、身近に少なくなったことが寂しい。

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。たのしくやっていけますように!