頭サビ9割

頭サビ9割

〜自分と向き合う時間〜

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ナマ。

 

・ひとは、生々しいものを、じぶんがおもっている以上に嫌う。

じゃんけんをするとき。それは、たいていなにかを賭けて戦っているのだ。たとえば、じゃんけんに勝ったら何かがもらえる。子供のときと違って、もうそれは、決して遊びではない。だからか、じゃんけんとなると気合が入る。きっと、相手もそうだよね。そんななか手を出す瞬間を少し遅らせ、相手の手を見てから合わせるように出す。そんなことをするひとがいると、一気に興ざめしてしまう。ある種の生々しい「ひと」としての嫌らしさを感じる。

なにかを語るとき。じぶんが経験したエピソードを誰かに対して、話すとしよう。もともと話すのがうまかったり、何度も話すうちにうまくなったりする。するとその話が受け手として許容できるレベルを超える、リアリティでやってくることがある。第二次世界大戦を体験した、被爆者の話なんてそうだね。もっと身近なことでも、あるよ。誰かの悪口とかね。そこまで言うんだ、とおもってしまうほどに、想像を超えた話が放たれることもある。

そういった、生々しさ。瞬間的ではなく、継続的な嫌な思いを生む。そして「生々しさ」は、いつもネガティブなイメージがある。でも「生々しいわあ」って、あんまりネガティブな思いを伝える際に使われない。どうしてだろう。意識してみると、生々しい場面ってたくさんあるのになあ。

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。キングボンビーなのねん。