キツことを言いながら、ヘルプ
あえて厳しくあたるということがあるね。当たられるほうからすると、そのときは辛いけど、いつか幸せになるときがある。だからこそ、やっているほうは強くあたるのだよ。
これが本質なのだとおもうけど、やっぱりなあ。しんどいよなあ、当たられるほうというのは。とりあえず相手からの愛を感じられれば、耐えることができる。でもねえ、愛を分かりやすく伝えてしまうと、その厳しく伝えたいことが中途半端になってしまう。その塩梅、やっているほうも、ひとによって探り探りなのだ。
きっとひとはキツことを言いながら、一方でヘルプを言われることを求めている。厳しいことを言いながら「ヘルプを出せ」なんて、なんだか勝手な気がするけど、そうじゃない。これは現実的理に叶っている。
きっと「キツさ」の塩梅を探すために。ずーっと我慢されて、いきなり戦闘不能になり、バタンキューされる。そうなるくらいなら、途中で随時助けを求められたい。指導のひとつとして、そんなあり方がいまも残っている。
受け手は、そういうものだと理解して、我慢せずに助けを求めればいい。我慢するなら、我慢し続けなければならない。それができないなら、出そうぜ。簡単なことじゃなさそうだけど、きっと邪魔しているのはプライドだけなのさ。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。知っていれば、できることでもある。