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起承転結の「起」 #258

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・よくわからないことを書く。

週末に東京に向かったのは、友だちに会うためだった。友人のひとりが、仕事のかたわら趣味で劇団に入ったらしい。そして数ヶ月し「ミュージカルで主演をする」という知らせを聞いたものだから、居ても立ってもいられなくなった。就職活動を終えてから、わりと舞台鑑賞するようになったものの、「友人の演劇」が特別なものであることに違いはない。ひとりの人間が、全く別人のひとりの人格を見事に演じきる姿には、戸惑いと驚きがあった。

あえて「ミュージカル」に話を限れば、思うに、ストーリーの組み立てが興味深い。たいていのストーリーは「起承転結」の順番で構成されている。ミュージカルもそうで、劇団四季であれ友人の劇であれ、同じように話が流れていく。「起承転結」はそれほどよくある形式からこそ、単純明快で分かりやすい。

とはいえ、勘違いしやすいこともある。それは「起承転結」が内容を4等分にする意味を持たないことだ。はじまりを示す「起」パートと、おわりに差し掛かる「結」パートが同じ長さとは限らない。考えてみれば、展開が起きる「転」パートの内容が複雑であるほど、その展開を収束させるための「結」パートは長くなる、というのは当然だろう。だから起承転結という流れは同じでも、展開のリズムが作品の味になる。

そんな「起承転結」なのだけど、ぼくは「起」が重要であることをミュージカルから学んだ。簡単にいえば、はじめにどれだけ惹きつけられるか、である。ぼくが観劇した作品のほとんどでは、はじめの段階で、その題材のテーマソングのようなものが流れた。ここで、いつもぼくは作品のファンになる。そうすると、仮に「転」箇所のエッジが効いてなかったり、「結」箇所のまとめ方が納得できなかったりしても、なんだかんだ満足していることが多い。つまり「起」にはその後の展開を補正する効果があるんじゃないか。

「起」の良し悪しが「対象の評価」に絶対的な影響を与えること。もちろん、これはストーリーにおける訴求ポイントの一つに過ぎない。「結」での予想外の終わり方によって、強い印象を植えつけられることもある。それでも「起」は”ないがしろ”にすべきでない、というミュージカルからの学びを踏まえ、大切にしたいと思った。

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。