頭サビ9割

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〜自分と向き合う時間〜

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自由であることの責任

Family, Leisure, Parents, Child, Father, Swing, Rock

自由という、抽象度が高くひとによって捉え方が異なるもの。政治学や哲学などの学問によっても、その解釈がそれぞれ違う。とはいえ多くのひとにとって、自由とはざっくり「何かに縛られることなく振る舞えている状態」として認識されているとおもう。

中学生や高校生ときは、はやく自由になりたかった。自由である対象としての大人と、自らを二項対立する概念として捉えていた気がする。しかし実際に大学生になり「何かに縛られることなく振る舞えている状態」を得ると、自由である苦労を知るようになる。

自由であることは、自らで全ての行動を選択しなければならず、その選択による結果も「自分の責任」だ。自らの責任のもと、物事を納得のいく良い結果にすることは、大学生の自分にとってはあまりにも難しく、自由であることに不自由さを覚えていた。

いまでさえ、自由であることに苦労している。他者に自分の選択を決めてもらうと考えずに済むし、うまくいかなくても、ひとのせいにもできる。保守的な気分のときは、不自由であるほうがよかったりしてね。

とはいえ社会人であり続ける以上、もう、自由と向き合わなければならない。いま、その責任の大きさに、恐れを抱いている。

 

今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。子どもは、不自由を楽しめばいい。